T要を論じなければならぬ。
 科学は本体を研究するのでなくして、本体を場面として現われる事実を研究するものであることは、既にプラトーンの哲学によって明らかにせられている。本体は去り、事実は永く残っている。事実とその関係とその法則とがすべての科学的研究の目的である。そして科学は、それが研究する目的すなわち事実の差異によってのみ分かれるのである。だから科学を分けようとすれば、事実が分けられねばならない。
 一七 ところでまず世界に発生する事実は二種あると考えられ得る。その一は盲目的で如何《いかん》ともなし難い自然力の働きをその起源とするし、他は人間の聡明で自由な意志にその根源をもつ。第一種の事実の場面は自然である。これらの事実を我々が自然的事実と呼ぶのはこの理由による。第二種の事実の場面は人間社会である。我々がこれらの事実を社会的事実(faits humanitaires)と呼ぶのは、この理由による。宇宙には盲目的でどうすることも出来ない力と並んで、自ら知り自ら抑制する力がある。これは人間の意志である。おそらくはこの力は、自ら信じているほどには、自らを知り、自らを抑制してはいないであろう。
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