ハを利用している。」
一四 最後にコックランは、科学と政策との区別がいかに経済学の定義とその内容の分け方に応用せられるのに適しかつ有益であるかを、人々に感知せしめようと努力し、次いで附言していう、「科学と政策との間に今から更に純粋な区別を設け、これらの各々に異る名称を与えるように努めるべきであるか、否。私には、この区別を明らかにするだけで足るのであり、それ以上のことは、この問題をよりよく知悉《ちしつ》した者によって、いつかなされるであろう。」
この遠慮は意外である。極めて正当な思想をもっているこの著者が、この思想を実行に移せば与えられるであろう所の愉快と名誉とを、かくも故《ことさ》らに捨てたのは、奇異である。だがそれにも増して奇妙なのは、著者が、何といおうと実際において、経済政策と経済学の区別をなし、経済学の真の目的を決定しようとしながら、それに成功しないで、政策の要素と科学の要素とを混同し、かつ私がセイについて批評しておいたそして彼の弟子らも脱《ぬ》け切れなかった自然主義的重農主義的見方(第七節)を経済社会についてもっていて、そのためにこの見方を消散せしめるどころか、かえって自ら
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