ゥらである。この説明は巧妙ではあるが、不幸にして、空気、光線、水が代償を支払われる場合がある。それは、これらの物が例外的に稀少な場合である。
 一六〇 私共は、スミスとセイのうちに、さほどの苦心をすることなく、二つの特徴的な節を見出すことが出来た。けれども事実において、これらの著者は、価値の起源にわずかに触れたに過ぎないで、共に、私共が指摘したような不充分な理論のうちに閉じこもっていたといわねばならぬ。先に引用した句の後の方では、セイは利用学説に労働価値説を混《まじ》えた。だがセイは稀少性学説に左袒《さたん》しているようである。スミスは、むしろ幸《さいわい》なことには、土地を労働と同じく富のうちに加えて、矛盾を犯している。ひとりバスチアのみは、イギリス派の理論を組織化しようとして、実際的事実に反するような結論をも自ら承認し、また他の人々をして承認せしめようとした。
 一六一 最後に、ブルラマキが「自然法原論」(〔Ele'ments du droit naturel〕)の第三編第十一章に述べた稀少性理論があるが、これははなはだ優れたものである。
「物の固有の内在的価格(〔prix prop
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