ら、秩序ある最後の原理へと、徐々に進んできた。要するに自然は専有せられ得る状態を作ったのに止り、専有の状態を作ったのは人間である。
 三六 かつまた、人間による物の専有すなわち社会の人々の間における社会的富の分配は、道徳的事実であって、産業的事実ではない。人格と人格との関係である。
 もちろん我々は、稀少な物を専有しようとする目的をもって、これらの物との関係に入るのである。そして長い継続的努力の後にしか、この専有の目的を達し得ない場合も少くない。しかしこの観点、既に述べた所のこの観点をここでは採らない。今はただ予備的事情や自然的条件に関係なく、社会における人間の間の社会的富の分配の事実を考えよう。
 私は、野蛮人の一族と森林中にいる一匹の鹿とを想像する。この鹿は量において限られて利用がある物であり、従って専有せられる。私はこの点を疑の無いものと考えて論じない。しかしいわゆる専有をなすに先立って、この鹿を追い殺さねばならぬ。私は問題の第二面であるこの点も論じない。これは狩猟の問題であって、この鹿を切断し煮焼するのが料理の問題であるのに等しい。だが鹿とのこれらの関係を捨象しても、なお一つの
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