を追求し、無限に存在しないで利用のある物を、自ら必要と認める程度に増加し、また自ら適当と考える所に従い、間接的利用を直接的利用に変じなければならぬ。各人はあるいは百姓となり、あるいは製糸職工となり、パン屋ともなり、洋服屋ともならねばならぬ。我々の状態は動物のそれに近づいてくる。けだし狭義の産業すなわち工業は、分業に負う発展がないとしたら、些細なものに過ぎないから。しかし厳密に考えれば、この場合にも第一系列に属する産業は存在することが出来る。ただ経済的産業生産が存在し得ないのである。
実際においては、今私共が想像した如くではない。人はただに生理的に分業に適するのみならず、また後に見る如く、この適性は人間の生存と生計とに必要な条件である。すべての人の運命は、欲望の充足の観点から見ると、独立ではなくして密接な関係をもっている。今ここでは分業の事実を、その性質または起源については研究しない。先に、人の道徳的自由と人格の事実を認めただけで、それ以上の研究に入らなかった如く、ここでも今はしばらく右の事実の存在を認めておくに止める。この事実は存在するのである。各人が稀少な物を自ら増加することなく、
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