ケられた新資本の量であって、その販売価格と生産費との均等を条件として決定せられる。語を換えていえばそれらは収入率の均一を条件として決定せられる。そしてこの条件はまた新資本の量の最大の利用の条件でもある。また
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は貯蓄の額であって、各貯蓄者が、用役及び生産物の市場価格において直ちに消費すべき1と毎年消費すべきiとのそれぞれの利用についてなした比較によって決定される。方程式の第一項は価値尺度財で表わした新資本の供給を示し、明《あきら》かにiの減少函数である。第二項は価値尺度財で表わした新資本の需要を構成し、iの初め増加次に減少の函数である。そしてこの需要はあるいは貯蓄者自らにより、または貨幣資本の形をとったこれらの貯蓄を借り入れる企業者によってなされる。故に需要が供給より大であるかまたは供給が需要より大であるかに従って、人々は、iをあるいは下落せしめあるいは高騰せしめて、新資本の価格をあるいは騰貴せしめあるいは下落せしめ、方程式の両辺を相等しからしめるのである。注意深い読者は、証券となって現われる新資本が、騰貴下落の機構により、その収入に比例した価格で貯蓄と交換せられるときに、取引所の市場において現われる現象は、まさしく右に説いてきたようなものであることを認めるであろう。また注意深い読者は、繰り返していうが交換及び生産に関し先に述べた理論を基礎とする私の資本化の理論は、この種の理論があらねばならぬ所のものすなわち現実の現象の抽象的表現であり、合理的説明であることを認めるであろう。そしてこの点に関し、もし許されるならば、新資本の最大利用に関する私の理論が私の純粋経済学の全体系の妥当性をいかによく証明しているかを、読者は注意していただきたいのである。もちろん低い利子しか生まない用途から資本を引き上げて、これを、高い利子を生む用途にもっていくのが、社会に対し利用を増加するゆえんであることを認めたのは、大なる発見ではない。だがかくももっともらしい、否かくも明白な真理を数学的に証明し得たことは、この証明の基礎となった所の定義と分析とが有力であったことを証明しているように、私には見える。」
数学者はそれを判断するであろう。しかし既に今から私の立場を示しておいてもよいものがある。ジェヴォンスの理論と私の理論とは、現われるとまもなくヒューウェル(Whewell)及びクールノーの古い試みと共にイタリア語に訳出された。またドイツでは、初め忘れられながらもゴッセンの著作が、既に知られていたチューネンやマンゴルトらの著作に加えられた。その後またドイツ、オーストリア、イギリス、イタリア、アメリカにおいて、数理経済学の多数の文献が現われた(一一)[#「(一一)」は行右小書き]。このようにして形成せられる学派は、すべてのシステムのうちで、真に科学を構成すべきシステムとして異彩を放つであろう。数学を知らず、数学がいかなるものであるかをさえ正確に知らないで、数学は経済学の原理の解明に役立たぬときめ込んでいる経済学者に至っては、「人間の自由は方程式に表わすことが出来ない」とか、「数学はすべての精神科学に存する摩擦を捨象する」とか、またはこれらと同様の力しか無い他愛もないことを繰り返して去っていくがよかろう。彼らは、自由競争における価格決定の理論が数学的理論にならぬようにと努めている。だから彼らは数学を避けて、純粋経済学の基礎なくして応用経済学を構成していくか、それとも必要な根底もなく純粋経済学を構成して、はなはだ悪い純粋経済学またははなはだ悪い数学を構成するか、これらのいずれか一つを選ばねばならぬ。私は第四十章で私の理論のように数学的理論である所の理論の標本をあげた。これらの理論と私の理論との相異は、私が私の問題における未知数だけの方程式を得ようと努めたのに反し、これらの人々は二つの方程式によって一つの未知数を決定しようとしたり、二つ、三つまたは四個の未知数を決定するのに一つの方程式を用いる点にある。私は、人々が、これらの人々のこのような方法を、純粋経済学を精密科学として構成する方法に全く相反するものとして、疑われることを望む者である。
精密科学としての経済学が遠からず樹立せられるであろうか、または遠い将来においてしか樹立せられるに至らないであろうか。それらは私の問題ではなく、ここに論ずるを要しない。今日ではたしかに経済学は天文学の如く、力学の如く、経験的であり同時に合理的な科学である。我々は経済学の経験的性質でこの合理的性質を蔽《おお》いかくしていたことが久しいが、何人もこれを批難し得ないであろう。ケプレルの天文学、ガリレーの力学がニュートンの天文学となり、ダランベールとラグランジの力学となるには、百年ないし百五十年二百年を要したのである。しかるにアダム・スミスの著書の出現とクールノー、ゴッセン、ジェヴォンスと私の試みとの間には、一世紀を経過していない。故に我々は、その持場にあって我々の職務を果したのである。純粋経済学の発祥地である十九世紀のフランスがこれに全く無関心であるとしたら、それはブルジョアの狭隘《きょうあい》な見解、十九世紀のフランスを、哲学、倫理学、歴史、経済学の知識のない計算者を作り出す領域と、少しの数学的知識もない文学者を出す領域の二つに分けた智的教養、に基いた見解によるのである。来るべき二十世紀においてはフランスもまた、社会科学を、一般的教養があって、帰納と演繹、推理と経験とを共に操るのに馴れた人の手に委ねる必要を感ずるであろう。そのとき数理経済学は、数理天文学、数理力学と並んでその地位を占めるであろう。そして我々がなしたことの正しさはそのときにこそ認められるであろう。
[#地から12字上げ]ローザンヌ、一九〇〇年六月
[#地から4字上げ]レオン・ワルラス
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註一 この書の印刷用の紙型が出来上ってから、第三七六頁と第四一四頁とにわずかの修正を加え、かつ一九〇二年日付の二つの註を添えた。(一九〇二年記す)
註二 これら第二、第三部に代えて、〔E'tudes d'e'conomie sociale〕(1896)と 〔E'tudes d'e'conomie applique'e〕(1898)との二巻を公にした。これで私の仕事はほぼ完成したわけである。
註三 〔Compte−rendu des se'ances et travaux de l'Acade'mie des sciences morales et politiques, janvier 1874.〕 または 〔Journal des e'conomistes, avril et juin 1874.〕 参照。
註四 純粋経済学要論の第一版の第一分冊は、〔Principe d'une the'orie mathe'matique de l'e'change〕 及び 〔Equation de l'e'change〕 と題せられる二箇の論文に要約せられ、一は一八七三年パリの 〔Acade'mie des sciences morales et politiques〕 に、他は一八七五年十二月ローザンヌの 〔Socie'te' vaudoise des sciences naturelles〕 に報告せられた。第二分冊は Equation de la production 及び 〔Equation de la capitalisation et du cre'dit〕 と題する二論文に要約せられ、出版前に、一は一八七六年一月と二月、他は七月 〔Socie'te' vaudoise〕 に報告せられた。これら四箇の論文は Teoria matematica della richezza sociale(Biblioteca dell'economista. 1878.)という書名の下にイタリー語に訳され、また 〔Mathematische Theorie der Preisbestimmung der wirtschaftlichen Gu:ter〕(Stuttgart. Verlag von Ferdinand Enke. 1881)という書名の下にドイツ語に訳出された。(邦訳、早川三代治訳レオン・ワルラアス純粋経済学入門。)
註五 この論文は 〔E'tudes d'e'conomie sociale〕 中に収められている。
註六 私は maxima(複数)といって、maximum(単数)といわない。〔The'orie de la monnaie〕 の初めの二編を、La Revue scientifique の一八八六年四月号に公にしたとき、この雑誌の校正係であるパリ人は、ラテン語の形容詞 maximum を名詞に一致せしめるべきものと考え、これを訂正した。私はこの校正係の処置は普通の用法に一致するものと考え、それを採用することにした。
註七 これらの研究のうち、〔Notes sur le 15 1/2 le'gal; The'orie mathe'matique du bime'tallisme; De la fixite' de valeur de l'e'talon mone'taire〕(〔Journal des e'conomistes.〕 一八七六年十二月、一八八一年五月、一八八二年十月所載); 〔E'quations de la circulation(Bulletin de la Socie'te' vaudoise des sciences naturelles.〕 一八九九年所載)は純理論の研究であって、これらは本書中に収められている。〔D'une me'thode de re'gularisation de la variation de valeur de la monnaie〕(一八八五年); 〔The'orie de la monnaie〕(一八八六年); 〔Le proble'me mone'taire〕(一八八七年―一八九五年)は応用論の研究であって、これらは 〔E'tudes d'e'conomie politique applique'e〕 中に収められている。
(訳者註) 〔"encaisse de'sire'e"〕 はケインズの交換方程式におけるkと等しい意味をもっている。
註八 ここで自由競争の制度というのは、用役をせり下げつつ売る者及び生産物をせり上げつつ買う者の自由競争の制度を意味する。企業者の自由競争の場合には、一八八節に説明するように、これのみが価値を生産費の高さに一致せしめる唯一の方法ではない。また応用経済学は、この制度が常に最良の制度であるか否かを問わねばならない。
註九 メンガーの論文とベェーム=バウェルク氏の著書とは、〔Revue d'e'conomie politique〕(一八八八年十一、十二月、一八八九年、三、四月)によく分析されている。
註一〇 次の一節は本書第二版(一八八九年五月)の序文の一節そのままである。たとい私が、私の著書のうちでは、貯蓄の函数を経験的に導き出していても、既にこの序文のうちで、あるいは純収入率の増加函数としてあるいはその減少函数として、演繹的にこれを導き出す方法を示しているのを、読者は知られるであろう。
註一一 これら数理経済学の文献は、古い数理経済学文献と共に、M. T. N. Bacon が英訳したクールノーの訳書の巻末に I. Fisher が載せた数理経済学文献中に詳《つまびら》かである。この訳書は Economic Classics 中の一冊として一八九七年に公にされた。
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第一編 経済学及び社会経済学の目的と分け方
[#改丁]
第一章 スミスの定義とセイの定義
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要目 一 定義の必要。二 フィジオクラシー。三 スミスによって
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