大学入学資格者(〔Bachelier e`s lettres〕)となり、一八五三年、理科大学入学資格者(〔Bachelier e`s sciences〕)となり、砲工学校(Ecole Polytechnique)の入学試験を受けたが、失敗した。この頃彼は微積分学や理論力学を勉強していたが、それのみでなく、クールノーの「富の理論の数学的原理に関する研究」(〔Recherches sur les principes mathe'matiques de la the'orie des richesses. 1838.〕)をも初めて読んだという(五)[#「(五)」は行右小書き]。一八五四年、鉱山学校(Ecole des Mines)に入学したが、まもなく退学して、文学などに熱中した。
一八五八年、レオンは小さな小説 Francis Sauveur を公にしている。しかし父は彼に経済学の勉強を熱心にすすめた。レオンが経済学者として立つに至るべき動機はここに発すると、彼自らいっている。「私の全生涯の最も決定的な時は、一八五八年の夏のある美しい夜であった。その夜 Gave de Pau 河の河辺を散
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