帰らなければならない。かようにして理念的市場において、理念的需要供給と厳密な関係をもつ所の理念的価格が得られる。他もすべて同様である。これらの純粋な真理はしばしば応用せられるものであろうか。厳密にいえば、科学のために科学を研究するのは、科学者の権利である。ある奇怪な図形の奇怪な性質が不思議ならば、幾何学者はこれを研究する権利をもっている(また日々この権利を行使している)。けれども純粋経済学のこれらの真理も、応用経済学及び社会経済学の上の最も重要で最も論争があったかつ最も不分明な問題に解決を与えるであろうことは、後に明らかにする如くである。
用語に関しては、数学上の用語を用いれば少数の語で最も正確に最も明快に表現出来ることをば、リカルドがしばしばなしたように、またミルが経済原論の到る所になしたように、通常の用語を用いてすこぶる不正確にすこぶる困難に説明することに人々が執著《しゅうちゃく》しているのは、なぜであろうか。
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第四章 産業の事実と応用経済学とについて。
所有権の事実と社会経済学とについて
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要目 三一 産業の事実。直接的利用、間接的利用。利用の増加。間接的利用の直接的利用への変形。三二 産業の二系列の活動。(一)技術的活動 (二)分業の結果生ずる経済的活動。三三 二重の問題。三四 産業的経済的生産の事実は社会的事実で自然的事実ではなく、産業的事実で道徳的事実ではない。社会的富の生産の理論は応用科学である。三五 専有の事実は社会的事実であって、自然的事実ではない。自然は占有せられ得る状態を作り、人間が専有をなす。三六、三七 道徳的事実であって、産業的事実ではない。所有権は合法的な専有である。三八 共産主義と個人主義。社会的富の分配の理論は道徳科学である。三九 道徳と経済学の関係の問題。
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三一 量において限られて利用がある物のみが産業により生産せられ得るのであり、またそれらはすべて産業によって生産せられる(第二五節)。そして事実において確かに、産業は稀少な物しか生産しようと努力しないし、またそれらは稀少なすべての物を生産しようと努力する。
私は、この産業的生産の事実を、今から、多少の正確さをもって明白にしておかねばならぬ。量において限られて利用がある物は、この限られ
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