経済学に課せられた二つの目的。(一)人民に収入すなわち豊富な生活を得せしめること。(二)国家に充分な収入を与えること。四 第一の観察。二つの目的は等しく重要であるが、いずれも本来の科学の目的ではない。経済学については別の見解がある。五 第二の観察。二つの活動は等しく重要であるが、異る性質をもっている。前者は利益、後者は公正。六 セイが考察した経済学は富が形成せられ、分配せられ、消費せられる方法の単なる記述である。七 自然主義者の見解は社会主義の排撃を容易ならしめるが部分的に不正確である。富の生産または分配については人は最も有用なまたは最も公正な組合せを選ばねばならぬ。八 経験的な分け方。九 ブランキ及びガルニエの不完全な訂正。
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 一 経済学の講義または概論の当初にまず、経済学それ自身、その目的、その分け方、その性格、その限界を限定せねばならない。私はこの義務を回避しようとは思わない。だが断っておかねばならぬが、この義務は、人々がおそらく想像するであろう以上に、果すに困難であり、簡単ではない。経済学の正しい定義は未だにないのである。既に経済学に与えられたすべての定義のうちで、科学上に獲得された真理の象徴である所の一般的で決定的な承認を得ているものは、一つとして無い。私はそれらのうち比較的に最も興味あるものを引用し批評し、しかる後私の定義を示すに努めたいと思う。そしてこれらのことをなす間に、我々が知っておかねばならぬ若干の著者名や著作名や時日等を挙げる機会を作るであろう。
 二 最初の重要な経済学者の集団はケネーとその弟子達である。彼らは共通の学説をもち、一つの学派を作った。彼らは自らこの学説をフィジオクラシー(社会の自然的統治を意味する)と呼んだ。今日彼らをフィジオクラットと呼ぶのは、この理由に基《もとづ》くのである。フィジオクラットの主な者は「経済表」の著者ケネーのほか、「自然的秩序と政治的社会の本質」(〔L'Ordre nature et essentiel des socie'te's politiques, 1767〕)の著者メルシエ・ド・ラ・リヴィエール(〔Mercier de la Rivie`re〕)、「フィジオクラシーまたは人類に最も有利な統治の自然的構成」(Physiocratie ou constitution natur
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