本をかゝへて、小学校の生徒としてこの世に生れて来ただけのものでした。
ほんとに私も、はじめの間は、ずゐぶんぶたれました。木びき工場をしてゐる私の家からは学校はかなり遠いのでした。それに私のところは、冬は日の出るのがおそいので、よく、遅刻しました。後には毎晩のやうに手の指や背中や、そこらじゆうに、ぶたれたあとの赤いあざ[#「あざ」に傍点]をつけてかへるので、父は、私を寄宿舎へ入れました。
しかし、寄宿舎はとても、つらくて、なれるまでが中々でした。それは寄宿生にとつてはクロック先生のほかに、クロック夫人がゐるからです。夫人は先生よりも、もつと意地のわるい女です。その上に小さなクロックの一群までがゐるのです。その子たちは、寄宿生をはしご段で追つかけまはします。フランス人はみんななまけものだとどなります。たゞ幸なことに、日曜に母さんが私に会ひに来てくれるときには、いつも食べものをどつさりもつて来ました。
クロックの家中のものは、だれもかれも大もの食ひなので、母さんのもつて来たものをぱく/\食べました。それで、私だけはこの家の人たちが、かなりよく世話をしてくれるやうになりました。
二
私たちの仲間だつた子で、私がいつも、をしい子だとおもふのはガスパール・ヘナンです。ガスパールも、やはり一しよに屋根うらの小さな部屋に寝かされました。二年まへに両親になくなられた子で、粉ひき業をしてゐる叔父が、厄介ばらひに、ハメル先生にたのんで、すつかり学校へまかしたのです。
ガスパールは来たときには年は十だつたのですが、大がらなので十五ぐらゐに見えました。ガスパールは、その年まで、学校で本ををそはるなぞといふことは夢にも考へず、一日中家の中を走りまはり、外であそびくらして来たのでした。それですから、学校へ入れられると、つながれた犬がくんくんなくのと同じやうに、たゞ泣いてばかりゐました。
とても人のよい子で、少女のやうな、やさしい目もとをしてゐました。前のハメル先生は、苦心に苦心をかさねて、やつとのことでガスパールを手ならしました。先生は近所に用事が出来ると、ガスパールをお使ひに出してやりました。ガスパールは、そのたびに、自由になつたのをよろこんで、小川にはいつて水をはねとばしたり、日にやけた顔に日射病までうけて来ました。しかしクロック先生になつてからは、まるで、わけがち
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