者はそんな声は耳にも留めないで、我一《われいち》にと押合ひへし合ひ山を下の方へ走りました。かうなると最う智慧蔵も堪らなくなつて、一生懸命に森を逃げ出して、無茶苦茶に下の方へ転びながら走つて来て、十五六町も来たと思ふ時分に、振返つて見ますと、これは先《ま》ア、何といふ事でせう。不思議にも、森は一面の猛火に包まれて、焔々《えんえん》と燃えてゐました。それは、若者|達《たち》の投げ棄てた松明の火が、落積つた木の葉に燃え移つて、それが枝から枝に、段々と燃え広がつたのでありました。


    三
 火事だ、火事だ、山火事だ! といつて、村の人達《ひとたち》は、皆《みん》な麓《ふもと》まで駈《か》けつけて来ましたが、何様何千年も斧《おの》を入れた事のない大きな森の大木が燃え出したのですから、見る/\うちに、山一面が火の海になりました。
 山火事は七日の間続きました。そして高い高い狸山《たぬきやま》は、一本の生木もないやうに焼かれてしまひました。火事のあとで、村の人達が上つて行つて見ますと、百穴の中から、這《は》ひ出して来た古狸も仔狸《こだぬき》も、皆な焼け死んでゐました。それを見た智慧蔵《ちゑざう》は、
「これでいゝ、もう狸も出ないし下らない迷信もなくなつた。」といつて喜びました。しかし村の人達は、馬鹿《ばか》七がどうなつたのだらうかと思つて、心配しながら焼跡をすつかり調べて見ましたが、人間らしい者の屍骸《しがい》は何所《どこ》にも見つかりませんでした。
「あんな馬鹿な男は、どうなつたつていゝぢやないか。」と智慧蔵は言ひました。しかし村人は、馬鹿七のために心配してゐました。
 ところが其《その》翌年《よくねん》から、此《この》村に雨が一滴も降らなくなりました。もう川も谷も、水が涸《か》れてしまつて、飲む水にも困るやうになりました。田や畑の作物はすつかり萎《しな》びて、枯れてしまひました。で、多勢はお宮の境内で、太鼓を打《たた》いて歌ひながら、雨乞踊《あまごひをどり》をいたしました。智慧蔵は馬鹿な踊をする奴《やつ》らだと言ひながら、その雨乞踊を見に行きました。
 三百人も四百人も集つて、声を嗄《か》らして歌ひながら、雨乞踊を踊つてゐますと、そこへ向ふの方から、青い物を荷《にな》つた男が、一人やつて来ました。よく/\見ると、それは馬鹿七でありました。
「馬鹿七さん、あなたは焼け死
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