愚助大和尚
沖野岩三郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)愚助《ぐすけ》は
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一番|活溌《くわつぱつ》だ。
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愚助《ぐすけ》は忘れん坊でありました。何を教へましても、直《す》ぐ忘れてしまふので、お父様は愚助を馬鹿《ばか》だと思ひ込んで、お寺の和尚《をしやう》さまに相談にまゐりました。すると和尚さまは、
「其《そ》の子は御飯を食べますか。」と、ききました。お父様は、
「はいはい、御飯は二人前ぐらゐ平気で食べます。」と、答へました。和尚様は、又、
「其の子は打《ぶ》てば泣きますか。」と、問ひました。お父様は笑ひながら、
「それは和尚様、なんぼ馬鹿だつて、打《ぶ》てば泣きますさ。鐘だつてたたけば鳴るぢやありませんか。」と、申しました。そこで和尚様は、
「宜《よろ》しい、御飯を食べるのは生きてゐる証拠、打《ぶ》てば泣くのは、神経のある証拠。或《あるひ》は大和尚になるかも知れない。ここへ伴《つ》れていらつしやい。私《わたし》の弟子にしてあげる。」と、申しました。
お父様は大変喜んで、早速お家《うち》へとんで帰つて、
「愚助、御飯をお食べ。」と、申しました。其の時はまだ午後の一時頃でしたが、愚助は少うしお腹《なか》がすいてゐましたので、早速大きなお茶碗《ちやわん》に山盛り三杯食べました。それを見て、お父様は、
「うん、大丈夫だ。」と、いひましたが、今度は少し怒つたやうな声で、
「愚助、ここへお出《い》で。」と、申しました。
愚助は不思議に思ひながら、お父さまの傍《そば》へ近よりますと、お父様は、いきなり愚助の頬《ほほ》つぺたを、ぴしやりと殴《なぐ》りつけました。
木の皮みたいな、がさがさした手の平で、ひどく殴られたので、愚助はひいひいと泣きました。愚助が泣くのを見て、お父様は、
「うん、大丈夫だ。和尚様のお弟子になれるぞ。」と、申しました。
それからお父様は、着換《きがへ》だの足袋だの、学校道具だのを風呂敷《ふろしき》に包んで、愚助に脊負《しよ》はせて、お寺へつれて行きました。それを見た和尚様は、にこにこ笑ひながら、
「あ、愚助か。よく来た、よく来た。」と、言つて、直ぐお弟子にして下さいました。
愚助《ぐすけ》はお寺から学校へ通ひました。和尚様は、愚助が帰つて来ると直ぐ今日習つた所を復習《おさらひ》してみました。ところが、一つだつて覚えてゐません。
「どうしたんだい。なんと見事に忘れてしまつたものだなあ。」と、言つて、和尚様は腹をかかへて笑ひました。
愚助は和尚様に打《ぶ》たれるとばかり思つてゐましたのに、打たれなかつたばかりか、さも可笑《をか》しさうに笑はれたので、自分も何だか可笑しくなりました。
其の晩でした。愚助は蒲団《ふとん》の中で眼《め》を閉ぢてゐますと、どこかで、「気をつけ。右向け右、前へおい。」と、いふ号令の声が聞えました。
「おや、あれは先生の声だな。」と、思つて、ぢつと、其のまま眼を閉ぢてゐますと、学校の庭が眼の前にありありと見えて来ました。
庭には生徒が並んでゐます。生徒の中には自分の愚助も並んでゐます。
「おやおや、あそこにゐるのはおれだぞ。」と、言つて愚助はぢつと見てゐますと、受持の先生は生徒をつれて教場へ入りました。
それから先生は算術を教へました。
「あ、あそこでおれが算術を習つてゐる。あ、手をあげた。答は百二十五。おれはなかなかえらいぞ……今度は読方だ。あ、おれが立つた。うん、すらすらと行詰《ゆきつま》らずに読んだ。おれはなかなかえらいぞ……今度は綴方《つづりかた》だ。あ、出来た。先生が感心してゐる。今度は習字だ。うまいうまい、おれが一番上手だ……今度は体操だ。あのおれが一番|活溌《くわつぱつ》だ。おれはなにしても一番だぞ……」
いつの間にか、あたりは、ひつそりして、先生も生徒も愚助のおれも見えませんでした。
愚助はすやすやと眠つてしまひました。そして翌《あく》る朝眼を覚しますと、和尚様は、
「愚助、早く起きて顔を洗つていらつしやい。御飯前に昨日習つたところを、復習《おさらひ》してあげます。」と、言ひました。
愚助は顔を洗つて来て、算術の本と読本とをもつて、和尚様の前に出ました。所が不思議にも、昨日出来なかつた算術が、今朝《けさ》はみんな、ずんずんと出来ます。読本をあけますと、昨日一字も読めなかつた所が、今朝《けさ》はすらすらと読めます。和尚様も驚きましたが、愚助は尚更《なほさら》驚きました。
それから御飯を戴《いただ》いて、学校へ参りました。帰つて来ますと、和尚様は復習《おさらひ》をして下さいました。愚助は今日習つた事を、一つだつて覚えてゐません。和尚様はまた腹を抱へて笑ひました。愚助も可笑し
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