ゐるんですよ。支那《しな》の山東省《さんとうしやう》の鄒邑《すういふ》といふ所で産れた孔子様、この人は偉い人だよ。或時《あるとき》にね、カンタイといふ人が、孔子様を憎んで、斧《をの》で斬殺《きりころ》さうとしたのさ。所が孔子様は、(天、徳を吾《われ》に為《な》せり、カンタイ夫《そ》れ吾《われ》を奈何《いかん》。)と仰《おつ》しやつて、泰然自若として坐《すわ》つていらしたんだ。するとカンタイは孔子様を殺しどころか色を変へて逃げたのださうな。それからずつと後に、ワウモウといふ人があつたのだよ。或時に黄巾《くわうきん》の賊といふ馬賊が攻めて来た。するとワウモウは孔子様の真似をして、(天、徳を吾に為せり、黄巾の賊夫れ吾を奈何。)と言つたが、其の言葉の終らないうちに、ワウモウの首は、すぽりと前に落ちてゐたさうだ。」と、立て続けに申しました。
「では壺の向ふに、孔子様とカンタイと、ワウモウと黄巾の賊を描くのですか。」と、画家さんはききました。
「いいえ、孔子様だけ。孔子様が右の手をこんな風に握つて、小指をこんなに撥《は》ねてゐます。」と、言つて、学校へ行きました。そして何にも覚えずに帰つて来てみますと、本当に賢さうな孔子様の絵が出来てゐました。
翌《あく》る朝、画家さんは尋ねました。
「孔子様の傍《そば》に何を描くのですか。」
すると愚助は答へました。
「孔子様の隣りに、老子《らうし》様を描くのです。老子さまは、おつ母《か》さんのお腹《なか》に、七十年居たのださうな。だから産れた時、もう髪が真白《まつしろ》で、歯が抜けてゐたのだつて。」
「誰《だれ》だつて産れた時は、歯が無いんですよ。」
画家さんは笑ひました。
「何でもいいから、其の老子様を描くのです。老子様は孔子様も感心したほど、偉い人ですよ。」
愚助は学校へ行きました。そして教はつた事をみんな忘れて帰つて来ますと、立派な老子様の絵が出来てゐました。やつぱり右の手を握つて、小指だけ撥ねてゐました。
翌る朝、愚助は申しました。
「今日はね、老子様の傍へ、悉達太子《しつたたいし》を描くんですよ。悉達太子といふのは、中天竺《ちゆうてんぢく》マカダ国、浄飯王《じやうばんわう》のお子様で、カビラ城にゐなすつたのだが、或時《あるとき》城の外を通る老人を見て、人間はなぜあんなに、年をとつて、病気になつて、そして死ぬのかといふ事を
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