考へたのです。(生れて老人になつて病気になつて死ぬ)どうしても其のわけが解《わか》らない、人間が老人《としより》にもならず、病人にもならず、死なない方法はないかと考へたが、わからないので、たうとう太子様はお城をぬけ出して、雪山《せつさん》といふ所へ行つて、アララ、カララといふ仙人について、何年も何年も修行した末、やつと、わけが解つたのです。」
「どんなに解つたのですか。」
 画家さんは眼を円くしてききました。自分も年をとらないで、病気をしないで、千年も万年も生きてゐようと思つたのでせう。
「生れなかつたら……生れなかつたらいいんですよ。」
「生れなかつたら。」
「生れなかつたら、年もとらず、病気にもかからない。死にもしない。」
「何だい、そんな事……」
「だつて、それだけの事が、人間にはなかなか、わからないんだよ。それが本当に解つたので、悉達太子様は、今にお釈迦《しやか》様と云《い》つて尊敬されるのです。」
「ええ、それがお釈迦様ですか。」
「うん、さうだよ。其のお釈迦様が、かうして小指をはねてゐらつしやるんだよ。」
 愚助はそれだけ言ひ置いて学校へ行きました。今日は先生から呶鳴《どな》られた上、鞭《むち》で頭をひつぱたかれて、細長い瘤《こぶ》をこしらへて帰つて来ました。

 絵は立派に出来てゐました。
 翌《あく》る朝、愚助《ぐすけ》が学校へ行く前に、また画家《ゑかき》さんに話しました。
「今日はね、お釈迦様の隣りに、イエス・キリスト様を描《か》くんです。此の人もお釈迦様と同じやうに、ダビデ大王といふ偉い王様の子孫でしたが、ユダヤ国の王様にならないで、貧乏人や病人のお友達になつて、親切を尽したので、何にも悪い事をしないのに、悪い人に嫉《そね》まれて殺されたのです。其のイエス・キリスト様が右の手を高くあげて、壺の中を覗《のぞ》いてゐる絵をお描きなさい。終り。」
 画家はびつくりしました。
「それで終りですか。」
「さうです。それで此の掛軸は元の通りに出来るのです。」
 画家は、これでおしまひだといふので、一所懸命にキリスト様の絵を描きました。
 五日間で、立派な絵が出来上りました。そこで村の人達は町から表具屋を傭つてきて、それを掛物にしました。
 二十日目に出来上つた、掛軸は、高さ三メエトル、幅二メエトルでした。書院の床の間に掛けますと、実に立派なものでした。
 村
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