いったら、なって居りませんですぞ。前置詞も冠詞も無茶苦茶につかいますでのう。』
六十五のお婆あさんはこんな気焔をあげる。このお婆あさんが、ある朝堂々とした洋装で、私共の宿っていたハワイの川崎ホテルのドアをたたいたものだ。
『どこへ行らっしゃいます?』
『これから帰りますんじゃ。』
『船は夕方でしょう?』
『飛行機で帰りますじゃ。』
『飛行機は度々お乗りになりましたか。』
『今日が始めてです。死ぬ時は自動車に乗っていても船に乗っていても死にますさ。さようなら。』
五十五歳の老夫人が人力車にでも乗るように、飛行機に乗ってホノルルからカワイ島まで飛んで行った事を思い出しているうちに、自分の飛行機は元の場所へ戻って来た。私は心の中で叫んだ。
『女房喜べ。おれは無事着陸したぞ!』
*
アメリカに来てうれしく思うのは日本の児童たちが、アメリカの子供たちと一緒になって嬉々として学んでいる事である。しかも、その日本児童がアメリカの子供たちに伍して、決して負けていないという事実は何という愉快な事だろう。どの学校へ行っても日本児童が大抵首席を占めている。
オークランドのジュニアース
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