セエキスピアが言った。否、叫んだ。叫ばなければ聞えやしない程プロペラの音が高い。
『愉快だ。しかしこれが二時間も三時間も続くのはどうかね。』
そう言った時、機体が急にぐっと右へ傾いた。私は思わずバンドにすがりつきながら言った。
『桐村夫人はえらいね。』
『うんえらい女だ。』
私の眼底には今年六十五歳の桐村夫人の姿が浮んで来た。
桐村義英氏は京都医専出の陸軍何等軍医か何かだ。長い以前からハワイのカワイ島に開業しているが、自分の娘を東京の女学校に入学させる為上京したまま帰って来ない。どうしたのかと問い合わる[#「問い合わる」はママ]と『来たついでに歯科の方を研究して帰る。只今水道橋の東京歯科医専に入学している。』との返事。此の変り者の夫人もまた変り者である。『娘と競争して負けないようになさい。入学したからには必ず卒業してお帰りなさい。』と云いやった。果して桐村氏は五十になって歯科医の免状をとってハワイに帰った。
彼女は福知山藩士の佐幕党の娘で、京都では梅田雲浜氏の未亡人や故近衛公の生母から堅い教育を受けた上、東京の女子学院に入って英語をまなんだという人。
『ここいらの日本人の英語といったら、なって居りませんですぞ。前置詞も冠詞も無茶苦茶につかいますでのう。』
六十五のお婆あさんはこんな気焔をあげる。このお婆あさんが、ある朝堂々とした洋装で、私共の宿っていたハワイの川崎ホテルのドアをたたいたものだ。
『どこへ行らっしゃいます?』
『これから帰りますんじゃ。』
『船は夕方でしょう?』
『飛行機で帰りますじゃ。』
『飛行機は度々お乗りになりましたか。』
『今日が始めてです。死ぬ時は自動車に乗っていても船に乗っていても死にますさ。さようなら。』
五十五歳の老夫人が人力車にでも乗るように、飛行機に乗ってホノルルからカワイ島まで飛んで行った事を思い出しているうちに、自分の飛行機は元の場所へ戻って来た。私は心の中で叫んだ。
『女房喜べ。おれは無事着陸したぞ!』
*
アメリカに来てうれしく思うのは日本の児童たちが、アメリカの子供たちと一緒になって嬉々として学んでいる事である。しかも、その日本児童がアメリカの子供たちに伍して、決して負けていないという事実は何という愉快な事だろう。どの学校へ行っても日本児童が大抵首席を占めている。
オークランドのジュニアース
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