人たちは、三年かかつて、塔を十三がいまで、きづきあげました。
「なん百年、かかつてもよいから、天へとどくまで、高くつみ上げろ。」と、いふので、たうとう、十五年の後には、百五十かいまで、できました。
けれども、そのころは、電話も、えれべえたあも、なんにもないのですから、いちいち、一かいから、百五十かいまで、しごとのだうぐも、おべんたうも、みんな、もつて上らなければ、ならないのです。大工も、左官も、朝はやく、一かいから、どんどんと、百五十かいまで、のぼつて、行くので、上まで、あがつたころは、もう、おひるです。これでは、しごとが、はかどらないからといふので、みんなが、入用のものを、上から下へ、しらせるとき、五かいめごとに、用じをきいて、下へ下へと、いひつぐのでした。
百五十かいの上で、さしづをしてゐました、かんとくさんが、おひるごろに、おなかが、すいたものですから、おすしでも、たべたいとおもつて、
「おうい、すしを一人まへ。」と、いひました。ところが、八十かいの男が、それを、ききちがへて、
「おうい、槌《つち》ひとつ。」と、下へいひました。
六十かいでは「土を一《いつ》か。」と、いひました。
四十かいでは「乳を一《いつ》しよう。」と、いひました。
二十かいでは「ちりとり、ひとつ。」と、いひました。
十かいでは、どうまちがへたのか「つつそで一まい。」と、いひました。
しばらくして、かんとくさんが、おなかを、ぺこぺこにして、おすしを、まつてゐるところへ、もつてきたものは、つつそでの、きもの、一まいでした。
かんとくさんは、すつかり、はらをたてて、
「ばか。すしの、べんたうだ。」と、どなりました。けれども、それがまた、だんだん、下へ下へと、まちがつていつて、
八十かいの男は「百面さう。」
六十かいの男は「ふくじゆさう。」
四十かいの男は「ふろしき。」
二十かいの男は「くるしい。」
十かいの男は、あわてて「しんだ。」
一かいの男は「さうしきぢやあ。」
さあ、町ぢゆうが、大さわぎになつて、かんとくさんが、しんで、おさうしきだといふので、市長さまが、百五十かいまで、かけ上つて行つたのは、三日目の朝でしたが、そのとき、かんとくさんは、ほんたうに、おなかがすいて、しんでゐました。
こんなさわぎで、たうとう、町の人たちは、おてんたうさまを、おひ出すための、た
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