私は怏々として居た。一日間を隔てゝ母から手紙が届いた。私は心もとなく封を切つた。手紙にはかうあつた。あのことは窃に極りをつけた。帰つて来ても誰に義理をいふ必要もない。只知らぬ顔をして居ればいゝのである。帰りたければ帰るがいゝ、逗留して居たければいつまでゝも居るがいゝといふのであつた。私は此の時つく/″\母の慈愛といふことを感じた。私はすぐに宿を立つことに決心した。其日のうちに上りの列車に乗つたのである。隣の座敷にはまだあとの客は這入らなかつた。
 其後おいよさんはどうなつたか知らぬ。私が帰つた時母は私に何も知らないで居れといつた。私は母に強ひて聞く勇気もなかつた。それでも一年許りの間はおいよさんから何とか六かしいことでもいつて来やしないかと懸念がないではなかつた。私はずつと後になつてふと村の内外に当時おいよさんとの噂が立つて居たことを聞いた。実際あつたことでなければ其噂はいつか消滅して畢ふから後になれば分るといふことを人が一般にいつて居る。私の陋劣な手段は私の噂を葬つてしまつた。さうして今では村の内外に私を疑つて居るものがなくなつた。私はおいよさんとの間の行為を罪悪だと知つて居る。然し
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