せんから鯱もそれは知つてるんですね。そこは漁師ですからね、到頭鯨へ綱を挂けて、そいつを船へ継いで曳いて来たんです。鯱も人間には構はなかつたさうです。もう此の港の口へ近づいて来たとなつたらそれでも鯱はすうつと沖へ引つ返して行きました。さうかと思つて居ると其中の一番大きなのが二三匹角を立てゝ戻つて来ましてね、残念だといふんでせう、鯨を一食ひ食ひ取つて行きました。此にはみんな驚きましたね。何しろ鯨といふ奴は大きいものですから、港へはひらないので其儘置いたのですが、それがあなた明日の朝見ると夜鯱が来たと見えて鯨の肉がしたゝか噛じられて居るんです。一口に百五六十貫づゝも食ひ取るんですからね。さうかといつてそこらに其肉が浮いてるんですから食つて畢ふ訳でもないんです。一体鯱といふのは酷い奴ですね。そこら一杯水は赤くなりましてね。その時の騒ぎはお目に挂けたいやうでしたな」
 障子の外へ膝をついて番頭は語つた。私も閾の所までずり出して其噺を聞いた。
「番頭さん見たやうなことをいつてどうしたもんだ」
 女中はすぐにかういつた。
「何だい私行つたぢやないか交ぜつ返しちやいけないよ」
「それだつて番頭さんは船
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