行つてどうとか思案を借りて見る積だといつた。私は悪いことだとは思つたが、どうにかそれが人知れずに葬つて畢へるならばと有繋に思はぬ訳には行かなかつ[#底本では「っ」]た。世間へどうしても知らしたくないといふ念慮が先に立つて私はそれを抑制する言葉が私の喉から出なかつたのである。おいよさんが行つてから心は少しも安まらなかつたが、此の前おいよさんが其家へ行つた時程は淋しい心を抱かせなかつた。
おいよさんが行つて幾日かたつてから私が茶の間の火鉢の側で新聞紙を見て居ると母は静に私へいつた。あたりには人は居なかつた。母はかういつた。それは能く聞いて見ねば分らぬことではあるが、おいよさんの針仕事をした女の窃に耳打する所によると二人の間は疑はれて居る。外にどうといふことはないが近頃おいよさんが其の女に逢ふと懐胎した時はどうしたらいゝだらうといふやうなことをよく聞くのである。一度や二度のことではないのでそれがどうも変である。尤も懐胎したとすれば顔のつやが善過ぎるからしかとはいはれぬが、大事をとるならばおいよさんは再び戻さぬ方がよいかも知れぬといつたといふのであつた。母はそれで其女に二人の間は人目につくやうなことでもあつたかと聞いて見ると何にも別にないといつた。それでは決して人には語つてくれるな、私もさういふことがあらうとは思はずに居たのだから能く聞いて見るからと其女の口止をしたのであつたといつた。私は其時只無言で家蔭の霜柱がほろりと崩れるのを見て居た。無言の自白は母の心を和げた。さうなれば私にも思案はあると母はいつた。私の隠れた悪才が窮策を運らした。欺きおほせるだけ人を欺かうとしたのである。一つにはおいよさんがそれ程欲しい女ではないが此儘別れて畢ふのも惜いし、身体の容子も聞いて見たいしそこには色々あつたのである。それで私は母にかういつた。窃においよさんの家へ行つて身体の容子がどうであるかを見て貰ひたい。さうして別に変つたことがなかつたら、まだ針仕事をして貰ひたいからどうとも其処はいひやうがあらうから再び私の家へ来るやうにいつて見て貰ひたい。連れて来て二三ケ月も置いたならば近所の人の疑も薄らぐに相違ない。耳打した女へは或はさうかとも思ふから又連れて来て二人の容子も能く見たいと思ふのだとかういつて置けば其内に慥にさうと疑を容れることも出来まいからと私は母へ迫つた。私の母は怜悧な女であつたけれども私のこんな浅猿しいことを聴いた。私はそれでもう決しておいよさんと関係はせぬといふことを母へ誓つた。母は窃においよさんの家へ行つておいよさんを喚び寄せることにした。おいよさんは風邪を引いたといつて臥せつて居たけれど別に変つたことはなかつたと母はいつた。私はそれを聞いて胸を痛めた。さうして更に安心した。おいよさんと私との間はまた以前に戻つてしまつた。それを私の母は疑はない。母は私にのみは尊い盲目であつた。私は情を通じて居たけれども私の理性の強い抑制は以前よりも冷静な関係を持続させたのである。私はもとからおいよさんに執着しては居なかつた。人目の蔭でおいよさんの目を見る時は私の心は変になるのであつたが、私はどこまでも隠匿しようといふ念慮が強く働いて居た。二人は到底別れねばならぬ筈に極つて居るのだから、愈別れとなつた時は決して私に思を残してはならぬといふことまで数次おいよさんに断つて置いたのである。さういふ口の下から私は其関係を続けて居たのである。此が凡人の浅猿しさである。
櫟林にも春の光が射し透すやうになつた。私はおいよさんを返す気になつた。私の情が冷かであつたから随つておいよさんにも余所々々しいところが出て来た。さうすればまた私の心にはおいよさんに不快な所が見えて来る。我儘に育つたと思ふやうな所も明かに分かるやうになつたのである。母は後の憂のないやうと窃に貯へて置いた手切の金を私に渡した。私の母は何処までも知らぬ分で其金も私の苦心から出たことにした。別れ噺も私から持ち出した。一ケ月たつうちにおいよさんも其積りになつた。私の家へ来てからおいよさんには衣物が殖えた。いよ/\帰ることになると衣物を包む風呂敷もない。私は他出した時萌黄の木綿を一反買つて来てやつた。おいよさんは一心にそれを縫つた。大きな包がおいよさんの部屋に置かれた。噺がすつかり極つて畢ふと何となく又心が惹かされた。無理に逐ひやるのが気の毒のやうにもあつたのである。私はおいよさんの部屋に忍ぶことを抑制し得なかつた。加之私は手切のことでまだ噺があるからと母を欺いて遠慮もなくおいよさんの部屋へ行つた。其頃おいよさんは加減が悪いからといつては部屋に籠つて居た。私の母は有繋に気が揉めるのだらうといつた。最終の日が来た。雨の降る日であつた。おいよさんはしをらしく母へ挨拶した。母も叮嚀に時儀をした。私は側にそれを見て
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