端へ立つと
「汲みませう」
 おいよさんは急いで水を一杯汲んでくれた。私はおいよさんのする儘に任せた。釣瓶の水がぼんやり立つて居た私の下駄へざぶりとかゝつた。
「まあ済みません、私が後にようく洗つて干して置いてあげますから」
 さういつておいよさんは手拭の下から私をちらりと見た。只水を汲ました丈では何でもないことである。然し私は其時おいよさんに対してどういふものか心が臆したのであつた。おいよさんも言葉遣がいくらか違つて居た。私はふと傭人を見た。二人はこちらに後を見せて居る。二人がこちらを向いて居る。其時陸穂を手にした儘一人がにこ/\しながら私の方を見た。私にはそれが嘲弄されるやうに感じた。だが群つた葉鶏頭は私の方からはすかして見えるけれどずつと離れた庭の中央からでは私等二人は掩はれて見える筈はないのである。彼等同士が唯饒舌つては笑つて居たに過ぎないのであつた。それでも私は其時厭な心持がしたのであつた。水浴をしてから幾らか爽快になつた。私は跣足になつて雨で倒れかゝつた秋草に杖を立てたりした。門の側のカナメ垣の外へいつも来る商人が天秤をおろして近所の百姓と噺をして居るのが私の耳にはひつた。見ると百姓は商人の荷から生薑の束を引き出してまけろというて居る。不作だから不廉いことはないと商人はいつて居る。時節が後れたから筋が堅くてもう不味いといふやうなことを声高にいつて百姓は生薑を買つた。
「生薑位はおめえ只ぶん投げて行くことにしてもいゝんだ」
 百姓がいふと
「商人がおめえそれで立ちきれるかい」
 と天秤を杖につきながら商人がいつた。
「おめえそれでも今の嚊持つ時にやどうしたつけ」
「又そんなこと、つまんねえことをいふなよ」
「それだつておめえが通つて来る時にや俺はなんぼおめえがことはかばつてやつたか知れめえ。又おめえも能く追出され/\してな」
 百姓は暫く笑つたが間を措いて
「あんな時からぢやおめえも年とつたな」
「年もとらな」
 二人は戯談半分にこんなことをいつて笑つて居る。かういふ野卑な対話でも私は平生ならば幾分の興味を持つたであらうが其日はいつまでも聞いて居ることが出来なかつた。其日は兎に角私に不快の感を与へることの多い日であつた。おいよさんは洗濯物を葉鶏頭に添うて干した。私は白い衣物を葉鶏頭の側に干すのが好きであつた。おいよさんは私の下駄を洗つて軒下へ干してそれから
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