投げた小石の只一つが梢に落ちたと見えて葉が五六枚上の枝から下の枝へひら/\と動いたやうであつた。すぐ近くだと思つた朴の木は余が腕の力では容易に小石が屆かぬのに驚いた。坂路は此の如くにしていつ登るとも知れぬうちに嶺の頂が非常に短くなつて居た。顧ると谿が深く且つ遠くなつてしまつた。稍伏見に見渡す山々は此の谿の底まで一帶に密樹の梢を以て掩はれてある。さうして谿は藥研の底のやうな形をして或度の傾斜を保ちながら遙かに向へ走つて居る。朴の木のもとを洗つて作並の浴槽の側を過ぎ行く水はこゝから見える密樹の根からしぼれ出る雫の聚りである。浴槽の側で昨日女が足を洗うた水は今頃は走り走つて青葉城のめぐりをめぐつて居るかも知れぬ。さうして海へ/\と志して居るのであらう。余は足をやすめながら暫く谿を見おろして立つて居た。幽かな水の響が聞えて來るやうで聞えぬやうで閑寂ないかにも人の心を惹くべき山の趣である。街道はこゝで一切のものを蹙めて山を穿つた洞門へ導く。洞門は闇くして且つ恐ろしく長い。洞門を出るとそこには豁然として壯大な出羽の國が展開する。うんと力を入れて踏ん込んだやうな山の脚に從つてこゝも坂路はゆるやかであ
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