。こんな僻地でも街道に當つて居るだけにかういふ裝飾品も行はれて居るのであらう。それにしてもどれ程此のリボンが女の心を惹いたことであらうかと思ふと其不調和な處に懷しいやうなところもある。それから女は極めて狹い帶を締めて臀には漸く拳位ともいひたいやうな小さな結び目を拵へて居る。余は此滑稽な程小さな結び目と白いリボンとを見ながら段をおりて行く。だん/\行くと遙かな底の方に人の聲が聞える。楷段が竭きるとそこに浴槽がある。近所の山のものらしい人物が五六人浴槽の側にぐつたりと茹つたやうになつて只手拭をしめしては少しづゝ身体へ掛けて居る。浴槽の外は直に溪流で狹い水が僅かに巖にせかれて落ちて行く。廣瀬川がこんなに成つたのかと思ふと驚く程の變化である。斷崖からは緑樹が掩ひかぶさつて藤の大きな蔓が緑樹の枝から垂れて居る。下流は兩岸相迫つて薄闇い。子供等が四五人でがや/\と騷ぎながら此溪流の淀みに泳いて居る。余は此の楷段はどの位あるかと女に聞いて見たら何でも百四五十はあるだらうといつた。女は浴槽に一々手をさし入れて加減を見てあるく。余はすぐに衣物をとつて浴槽へ一寸飛び込んだ。さうして子供と一つになつて泳いで見た。少し流の急になつた所へ行くと身体が恐ろしい勢でぐつと突き返される。女は裾をかゝげて浴槽の側の石へ乘つてひた/\水に足を洗つて居る。さうして其水に立ちながら余等が泳ぐのを見て居る。余は溪流にひたつた儘見ると宿は遙かに高い岸の上に建てられてあつて浴槽へ通ずる楷段はうねりくねつた長い妙な箱が斜に釣り下げてあるやうなものである。つまり箱の内部を人が一つ/\と運んで往復するのである。余は冷たくなつたから復た浴槽へ飛び込んだ。女はかゝげた裾を外して濡れた足のあとを板の上に印しながら楷段を昇つて行く。だん/\リボンを插した髮が隱れて小さな帶の結び目が隱れて最後に足のうらがちらりと見えて姿は全く其洞穴のやうな楷段の上方に隱れてしまつた。
四
九月五日
雨戸ががら/\と開くと共に余は起きた。まだしら/\明である。前夜の女がいひつけておいた辨當を持つて來て、こんな山の中で何も菜がないから生卵などではどうかと聞く。辨當の菜に生卵は少し困つたことだと思つたが、女の濁つたやうな太い訛つた聲で然かも膝をついて丁寧にいふのが氣に入つたから余は即座にそれでもいゝといつた。女はやつぱり狹い帶をしめて居る。卵はつぶれぬやうに紙へ包んでそれを手拭の端へ括つて兵兒帶へくつゝけた。
夜は全く明け放れた。時計を見るとまだ五時半にならぬ。空は晴れて淡紅色を含んだ灰色である。行手の峻嶺が頂上僅かに日光をうけてほつかりと赤くなつて居る。路傍の芒の穗はさま/″\な草の花と共にしつとりと露を宿して居る。溪流について行く。即ち此も廣瀬川の水である。溪流はずん/\狹くなつて街道が高くなるのに氣がつく。峻嶺の緑が身に迫つて來る。余は此の朝の空氣に包まれて秋の冷かさが薄い單衣を透してしみ/″\と身にしみこむやうに感じた。歩いて居るあたりまではまだ日は射さぬ。峻嶺の頂は段々下の方まで日光が射し掛けて來る。それと共にさつきの赤い光は薄らいだ。山腹をうねつて行くと所々山のはざまを漏れて日光が路傍の草村へきら/\と射してることがある。ふりかへつて見ると其草村に交つて青い細い莖の先へ白い玉を乘せたやうな星月夜の花から薄く霧が立ち騰る。霧は四五尺のぼつて日光のきらつく中へ消えてしまふ。既に深くなつた溪流の向うの岸の汀から朴の木が存分に葉を廣げて立つて居るのがある。余は小石をとつて朴の木へ投げて見た。幾つかとつて投げた小石の只一つが梢に落ちたと見えて葉が五六枚上の枝から下の枝へひら/\と動いたやうであつた。すぐ近くだと思つた朴の木は余が腕の力では容易に小石が屆かぬのに驚いた。坂路は此の如くにしていつ登るとも知れぬうちに嶺の頂が非常に短くなつて居た。顧ると谿が深く且つ遠くなつてしまつた。稍伏見に見渡す山々は此の谿の底まで一帶に密樹の梢を以て掩はれてある。さうして谿は藥研の底のやうな形をして或度の傾斜を保ちながら遙かに向へ走つて居る。朴の木のもとを洗つて作並の浴槽の側を過ぎ行く水はこゝから見える密樹の根からしぼれ出る雫の聚りである。浴槽の側で昨日女が足を洗うた水は今頃は走り走つて青葉城のめぐりをめぐつて居るかも知れぬ。さうして海へ/\と志して居るのであらう。余は足をやすめながら暫く谿を見おろして立つて居た。幽かな水の響が聞えて來るやうで聞えぬやうで閑寂ないかにも人の心を惹くべき山の趣である。街道はこゝで一切のものを蹙めて山を穿つた洞門へ導く。洞門は闇くして且つ恐ろしく長い。洞門を出るとそこには豁然として壯大な出羽の國が展開する。うんと力を入れて踏ん込んだやうな山の脚に從つてこゝも坂路はゆるやかであ
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