ふと一人が突つ刺してある竹棒を引つこぬきながら「いめえましい畜生ぢやねえか、粉微塵だと呟きながら、舟へ乘せてきた竹束をほどいてそこへ突つ立てる、またその次のを改めては突つ立てる、その竹棒のほどいたところを見ると、幾條かの繩が一つの竹の棒を括つては他の竹の棒を括つて居るので恰かも目の極あらい網のやうなものになつて居る、いめえましいをいく遍か繰り返しつゝ漸く突つ立てゝ仕舞つた、網にしての麁末極まつたこんなものでも鮭の進路を他にそらさない仕掛なのであるといふことだ、いま立てたのが即ちサヤといふので二百間から引つ張るのだといふ話である、さうしてさつき通つた汽船のためにいま立てた丈の間がぶつ切られたのだといふことであつた、「よにくな奴等だ、わざ/\サヤのところを通りやがつて、いめえましい畜生だといふのは苫舟へ戻るまで止まなかつた、舟へ戻つて見ると凉爐のなかには火がカン/\と起つて居て、串へさして今坂餅《いまさかもち》[#「今坂餅」は底本では「今阪餅」]がプーツと膨れ出して居たところであつた、叔父の膝元には風呂敷がひろげられて中には煎餅、柿、饅頭などが亂れてある、さうして叔父もうしろのちやんも、艫の二人も煎餅をボリ/\噛んで居た、自分は燒かれた今坂餅を從弟と二人で味つた、いま乘移つた人も煎餅を噛りはじめた、軈てうしろのちやんが提げてきた二升樽の口をあけて、古ぼけた土瓶を見付け出して船ばたでばしや/\と洗つて火の上へかけた、「さつき四本も捕れたあとぢやこん夜は駄目かも知れねえな、俺はなん遍見に來たが一遍も捕るのを見ねえで仕舞つた、いつでも運が惡くつてなと叔父がいふと「それでもどんなものだか分らねえが、闇いは闇いしなんちつても靜かだから屹度來なくつちやならねえ、なあに來はじまつちや來ますからと痩せぎすな一番物の解り相な男がいつた、「こなひだ一晩に十六本さ、尤も河が違ふんですがね、こん夜豆腐屋らが張つてる所がさうさ、いま二晩ばかり過ぎなくつちや替りにならねえ、さつき夕飯頃に追つ掛け引つ掛け四本も來たんだから本當に思ひがけねえことでねと、爺さんが傍から語つた、土瓶の酒がわいたといふので艫では頻りに飮みはじめた、「河のなかぢや泊りに來るものもなくつて穩かだな、夏の頃は瓜小屋へ泊りにきた者があるなんて、おつかあが怒つて大喧嘩が起つたなんちふ話だけがと叔父が笑ひながらいつた、「よく知つてんな、どつから聞いたがなあといつて笑つた、「さういふ事があつたんでよと自分を見返つて更に叔父が云つた、自分も可笑しくなつて笑つた、そのうちに各の顏が赤くなつてきた、彼等は尚なんだとか無駄口を叩いて居る内にも頻りに水面に目を注いて居る、苫舟からぢき前に舟にならんで一間位宛に五本の竹棒が立つて、それから向へ直角に五本、それからまたこちらの竹棒にならんで五本立つて居る、丁度三方に垣根をゆつたやうになつて一方は明いて居る、その明いて居るところから下の方へ例のサヤといふのが延びて居る、それだけのことは苫のぢき下から吊つてある明りでよくわかるのではあるが、それがどんな鹽梅に獲物を引ツ掛けるか薩張り分らないので、ざつと説明を求めると痩せぎすな男が「まあいつて見りや蚊帳を倒に吊つたやうなものさ底に網があつてそれからこの竹の立つたところが網で下の方の明いてるところがやつぱり網だがこいつは寢せてあるのさ、それで畜生へえツたところでこの網を引ツ張ると、網が起きてきて逃げられなくなツちまふのさと小べりのところに繋いである麻繩をさし示した、更に彼は「それからこの中のところに極あらツぽい網のやうなのを立てゝ置いて上に鐵がくつゝいてるから、畜生めそれを潜りせえすりやから/\つと鳴るからね、そん時これを引ツ張るわけなのさと先づわかり易いやうにと話して呉れた、しかし自分はもはや一疋位引ツ掛り相なものだと思つて心待ちで堪らない、酒もいつかそつちのけにされてみんな網の方へのみ目を注いてきた、靜かな夜は益※[#二の字点、1−2−22]靜かに成つて遙か向ふの岸と思はれるあたりがどんよりと黒く見えるのがなんとなく淋しく、そろ/\更けはじまつた、叔父と自分との間に夾まつて居る從弟はもう横になつて仕舞つた、舟や竹棒に塞かれて居るので水は極めて低い響をなして流れ去る、よく/\ひつそりして仕舞つた時にから/\んと突然に鈴が鳴つた、それツといふので二人の手が小べりの綱へかゝつた、爺さん頻りに息をはづませながら「どうも今なあんまり音がえらかつたから下手にすつと返りかも知れねえ、利口な畜生はそろツと行つてさきの網へ突き當ツちや急に引き返へすのがあんですからね、そん時はそれ音が大けえんです、今のがなども返りでねえけりや可いがと自分等の方を見ていつた、綱はしつかりと握つた儘である、網のなかは寂然として音沙汰もない、「そうれどうして
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