も居ねえと爺さんは又いつた、苫舟の上手へ繋いたサツパが上手へ、下手へ繋いたサツパが下手の方へ出た、「なあに居なくつても時間だから砂をはたかなくツちやならねえからといつて竹棒のところをどうしたのか底になつてるといふ網であらう水面へ浮んで來た、サツパのなかのものはその網の片はしを持つて、洗濯でもした時のやうに上下にばしやり/\とやつた後また元のやうに網を沈めて戻つた、果して獲物は無かつた、折角待ち疲れのやうになつて居たのに惜しいことをした、こんな鹽梅では今夜は六かしいのではないかと自分は竊に思つた、起き直つた從弟も呆然として居る、なほ暫くは見守つたが見込もないやうではあり、眠くもなつて來たので自分も横になつた、叔父も横になつた、一枚のどてらは三人を掩うた、寒からうと思つたのが意外に寒くないので大助かりである、しかし狹い間へごろ寢であるのと、自分の屈め切つた足の尖はうらのちやんに屆いて居るのとでひどく心持がよくない、その上に今か/\といふ心持ちのするために眠りながらもうつら/\して居る、大分時間も經過したらうと思はれる頃に有るか無いかのやうに鈴の鳴るのが聞えた、叔父の手は強く自分の躰に觸れた、しかしその時はもう自分が咄嗟に起き上る刹那であつた、從弟をも抱くやうにして起した、再び鈴がから/\んと鳴つた、「こんだ大丈夫でさ、見てさツせ、いま大《で》かいのがとれるからと、兩方に立ち別れた舟は底なる網を揚げた、網が水面に現はれると共に獲物はもう進退の自由を失つたと見えて、自分等の近くのところで網へくるまつて仕舞つた、割合におとなしいものである、サツパをそこへ漕ぎ寄せると、なかの男が獲物の鰓のところへ手をさし込んでぐつと小べりへ引きつけて、ぎくり/\と動いて居るのを、一尺五六寸の丸棒で二つ三つ鼻面を惱ました、あざやかなる獲物は銀の色をして光つて居る、三尺ばかりの長さだ、自分はまのあたりにこの大きなる獲物の溌剌[#「溌剌」は底本では「溌刺」]たる有樣まで見ることが出來たので、もう今夜はこれ限りであつたにしたところで憾みもないと思ひながら少なからぬ滿足を以て心安くまた寢た、艫の連中が何かごと/\饒舌つて居るのも耳に這入らなく成つて、よつ程眠つたらうと思ふ頃にふと目が醒めると酷くしめツぽく感じた、ザア/\といふ雨で顏にしぶきがかゝるのである、苫は雨をとほす憂は無いが、しぶきの五月蠅いのに
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