濃川が竪に走つて其間に隱見する。平野のさきには國境の高山が綿々として相連互して居る。其連山の高低した間に眞正面に峙つたのは粟が嶽だといつた。其遙かな粟が嶽の山腹から二筋の青い煙が立ち騰つて居る。煙の末は薄らいて横に棚引いて居る。今朝は一帶にぼんやりと霧がかゝつて居るが此二筋の青い煙だけは極めてはつきりとして山よりも近く見える。此懶い樣な天地の間に眼をあいたものは此ばかりだと思ふ程青い煙は活々として居る。彌彦の峰つゞきが角田《かくた》山となつて又一つ立つて居るので北方の一部だけは隱されて居る。地圖で見ると五ヶの濱や角見《かくみ》の濱が此角田山の附近に散在して居る。此等の濱は何邊かと看守人に聞いたら此所からでは隱れて居てしかとは方角も分らぬといつた。此五ヶや角見の濱々からは毎年夏になると一群の女づれが關東を指して行く。草鞋を穿いて紺の大風呂敷に葛籠を背負つて皆一樣に菅の爪折笠を冠つて毒消しといふ藥を賣つて歩く。田舍の百姓家を戸毎に尋ね廻つて一種の調子を持つた言語で押し強く藥を勸める。日が暮れゝば炊ぎの手傳をして民家へ泊めて貰ふので商ひの高が少ない割合には相應に利益を見て行くといふ。笠のうらから見える彼等の容貌は極めて美しいものがある。彼等の殆んどすべては謠が上手であるので要りもせぬ毒消しを買うて米山甚句を唄はしたと自慢するものがある位である。遠征隊を組織して出る程あつて彼等は家に在つても勞働が激しいとのことで其角見の濱から出たといふ一人に嘗て聞く所によれば女が十六になつて六斗の米俵が背負ひなければ仲間に交際が出來ぬ程恥かしいとしてある。正月の小遣を得るためには各自に八九貫目の蛸を籠で背負うて夜角田の山を越えて夜明に底樋川を渡つて其川口の内野の市で錢に換へる。それで一睡もまどろむことなしに又山を越えて引つ返すのだといふ。幾十人が打ち揃うて高張提灯を先へ立てゝ聲のかぎり唄ひながら行くのはそれは賑かなものだといつた。秋も彼岸になれば散り/\になつた女群は以前の如く一つになつて關東を後にして去る。其彼岸は既に來つて居るのである。或は女群は今此見える連山の一角を志して越えつゝあるのであるかも知れぬ。驚くべき健脚を奮つて彼等が山坂を辿る時は丁度沖の波がしらが搖る如くに打ち揃うた幾十の白い爪折笠が高低しつゝずん/\と進んで行くのであらう。山坂幾つ攀ぢ盡して此蒲原の平野が表はれた時には今此頂から連山を見る目に遮るものがないやうになつかしい此山が先づ目につくであらう。何處かの一角に其俤が見える樣な心持がする。濱々の漁人は今其茅屋に久しい間の妻や娘を待[#「待」は底本では「持」]ち疲れつゝ居るに相違ない。其濱々が山のうしろに隱れて居るのである。此峯つゞきは角田山で畢つて其さきは平野が海と相接して居る。其角田の山を幾らも相隔らぬ所に眞白く川口が見える。余は一も二もなくそれは蛸を賣りに行くといふ内野の川口だと思つたので看守人に聞いて見たらあれは新潟であの煙が石油製造所だといつた。余は新潟はもつと遠くに離れて居るのだらうと思つたのであつた。煙だといふのは埃が吹つ立つた樣な色で斜に長く棚引いて巾廣に海を掩うて居る。看守人の居る所を辭して復た廟の傍に立つと佐渡の雲は依然として白く海へ映つた儘である。痩せた薄の穗もやつぱり傾いたまゝ動かない。更に一遍ぐるつと見廻して見ると低くて小さなつまらぬ山と思つた此の彌彦の眺望の闊大なのには今更の如く驚かずには居られぬのである。
杉の林へ下りると根ごじにした小さな杉の木と唐鍬とを側に置いて二人の老人が焚火をして居る。藁で板の樣に拵へたものを背負つて居るので何といふものかと聞いたら、此は「バンドリ」といつて此を當てゝ置けばどんな荷物でも背中が痛くないのだといつた。暫く噺をして居るうちにふと良寛上人の噺が出た。良寛さんといふ人は墓から椀を拾うて來たので良寛さんそれは死人の椀ぢやありませんかといつたら洗うてたべてるといつたといひますといふ樣なことであつた。一人の老人は顏を地面へ擦りつけるやうにして燻ぶる火を吹いて居る。それは枝豆を焦がしながら燒いて居るのであつた。
彌彦から吉田へ出る間は稻刈りがはじまつて居る。路傍には榛の木が立ちならんで居る。其榛の木へ幾筋となく繩を引つ張つて其繩へ小束を掛ける。それ故恰かも塀と塀との間を行く樣になつてる所がある。燕といふ所で大道へ店を出して果物を商つて居る女があつた。柿があるので甘いかと聞いたら古い樹でなければまだ今頃はコンゲナ柿は出ない。ホンネ、カンドを甞めるやうだといつた。甘露のやうだといふのである。燕から渡しを越えて長い堤をぶら/\とカンドの樣だといふ柿を味ひつゝ歩いた。長い堤が盡きると又川がある。此は二瀬になつた信濃川の本流である。此所には長橋が架設してある。橋を越えれば三條の町にな
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