のであります。それから更に酒粕へ上手に蓄へられゝば迚ても西瓜や甜瓜の遠く及ばない價を保つて珍重されるのであります。白いのは白瓜で青いのは青瓜であります。隣合つた青瓜と白瓜とはずん/\手を伸ばして其細いくるくると卷いた髭のやうなもので、互に握り合ふばかりに成りました。
 さて隅から隅まで注意を怠らない爺さんは伸ばさうとする蔓の先をみんな穢い爪の先で摘んで棄てゝ畢ひました。青い瓜も白い瓜も伸び出した葉の間に椎の實のやうな瓜の形を見せて、其の側に立てた尻に花が開くと其處から、爺さんは蔓の先を摘んで畢ふのであります。さうすると其の小さな瓜が必ず滿足に生長して行きます。さうでなくて氣儘に任せて置くと小さな瓜はどうかするといゝ加減の大きさに成つてぼろ/\と落ちて畢ふのであります。
 瓜はかうして始終|窘《たしな》められて居ますが、一方には又一番必要な肥料といふものが爺さんの周到な用意で幾ら吸うても吸ひ切れない程十分に與へられてあります。それで生氣の衰へない瓜は何處からでも蔓を吹き出します。爺さんは又|根《こん》よくそれを摘んで止《と》めます。かうして白瓜はどこまでも白く、青瓜は油ぎつたつやゝかさを保つて、共につゝましく麥藁の上に横はります。兩《ふたつ》の瓜は唯相隣して互に見合うて居るばかりでありました。爺さんは瓜がいゝ加減の大きさに成れば其瓜を蔓から切り放して粗末な籠へごろ/\と投げ込みます。成熟した兩の瓜はかうして爺さんの無雜作な手によつて毎日數多の結婚が成立して居ました。
 暑い日が麥藁の上に横はつて居る瓜の膓《はらわた》までも熱しては、夜の凉しさが冷たく潤しました。瓜畑の周圍に蒔かれた玉蜀黍はすつくりと立つて美しい瓜を守つて居ます。玉蜀黍の莖には横に竹を結んで自然に垣根が造られました。穗先のざらけた玉蜀黍は何事にもざわ/\と騷ぐのであります。瓜畑の隅には疾から小舍が建てられて、小舍には不相應な大きな蚊帳が吊られました。爺さんは毎晩そこへ起臥《おきふし》をするのであります。瓜の番は爺さんの役目で瓜を市場に運ぶのは庄次の日毎の役目であります。闇の夜が續いてそれから月の夜が續きました。或晩爺さんに何かの故障が有つたと見えて庄次が小舍の番をすることに成りました。
 瓜小舍に泊るのは何といつても夜は眠い庄次に、適した役目ではありません。然し庄次は眠いからといつて眠ることはしません。彼は瓜が盜まれるのを惜むよりも、若し盜人が踏み込んだとしたならそれを捉へなければなるまいといふのが懸念なのでありました。彼のこゝろは盜人を逐ひ出すのさへ厭なのであります。彼はそれ程穩かな生れた儘の眞直な性質の人間であります。
 庄次は血を吸ひに集つて來る蚊を避けて古びた蚊帳の中にぽつねんとして居ました。だぶ/\にたるんだ蚊帳の天井は坐つた彼の頭に觸りました。そして又暑くなると蚊帳から半身を出してぼんやりとして居ます。月は番小屋の短い廂から覗いて居ます。瓜畑は凡てが薄霧で掩はれたやうにほんのりと明るく、且つ白く見えました。其中で殊に白く美しいのが白瓜でありました。庄次は恍惚として白瓜を見て居ました。
 すると恰も上手な鍼醫《はりい》が銀の鍼を打つやうに耳の底に浸み透る馬追虫の聲が、庄次の這入つてゐる蚊帳に止まつて鳴きました。月の位置が移るに從つて夜は凉しく沈んで、一體に身にしみじみとして來ました。庄次は到頭蚊帳の中へ身を横へました。何の爲に吠えるのか犬の聲が鋭く聞えます。遠くの方、又近くの方の村落で唄の聲が聞えたり止んだりします。若い村の男等はどうかすると夜はうろ/\と其處らを彷徨うて女を探しに歩くのであります。彼等はそれ相應に女に好かれようとして服裝《みなり》に心を苦しめるのであります。何處の村落にも兵隊歸りが彼等の間に異色を帶びて居ます。それが彼等の風俗を變化させるのであります。
 併しながら庄次はさういふ仲間と表面は甚だしい疎遠《ちがい》はなくてもそれに感染《かぶ》れるやうなことは苟且《かり》にもありませんでした。彼は八釜敷い爺さんの躾を受けて幼少の時分から農作に我が趣味の全部を奪はれて居たのであります。
 この夜彼れは自分の職業の趣味といふ事を理窟なしに感じて居ました。庄次は番人といふ責任を考へて居たので平生とは違つて眠くはならなかつた。で毎日行く市場のことなどを考へて居ました。夜が深けるに隨つて空氣の凉しさが一しほ沈んで身にせまつて來るかと思ふと、周圍の蜀黍の葉は猶更にこの番人を眠らせまいとするやうに酷くざわ/\と騷ぐのであります。其度毎にだぶ/\の蚊帳の裾が吹きまくられて、時々彼れの頬をさすりました。そして耳がだん/\冴えて來ますと、彼はすぐ自分の小舍に近い木戸口のあたりに何かは知らぬが、こそ/\と音がしては又止むのを聞きました。彼れは心の所爲《せゐ》かと
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