ざんこく》に渡《わた》つて少《すこ》しでも餘裕《よゆう》を與《あた》へられないのである。それで彼等《かれら》の間《あひだ》には自然《しぜん》に只《たゞ》恐怖《きようふ》する性質《せいしつ》のみが助長《じよちやう》されたのであるかも知《し》れない。それだから既《すで》に薪《たきぎ》に伐《き》るべき時期《じき》を過《すご》して、大木《たいぼく》の相《さう》を具《そな》へて團栗《どんぐり》が其《そ》の淺《あさ》い皿《さら》に載《の》せられるやうに成《な》れば、枯葉《かれは》は潔《いさぎよ》く散《ち》り敷《し》いてからりと爽《さわや》かに樹相《じゆさう》を見《み》せるのである。丁度《ちやうど》それは子孫《しそん》の繁殖《はんしよく》と自己《じこ》の防禦《ばうぎよ》との必要《ひつえう》を全《まつた》く忘《わす》れさせられた梨《なし》の接木《つぎき》が、大《おほ》きな刺《とげ》を幹《みき》にも枝《えだ》にも持《も》たなく成《な》つたやうに、恐怖《おそれ》が彼等《かれら》を去《さ》つたのである。
然《しか》しながら林《はやし》の櫟《くぬぎ》は幾《いく》ら遠《とほ》く根《ね》を伸《のば》して迅速《じんそく》な生長《せいちやう》を遂《と》げようとしても、冷《ひやゝ》かな秋《あき》が冬《ふゆ》を地上《ちじやう》に導《みちび》くのである。彼等《かれら》は其《そ》の冬《ふゆ》の季節《きせつ》に於《おい》て生命《せいめい》を保《たも》つて行《ゆ》くのには凡《すべ》ての機能《きのう》を停止《ていし》して引《ひ》き緊《しま》らねば成《な》らぬ。それでなければ彼等《かれら》は氷雪《ひようせつ》の爲《ため》に枯死《こし》せねばならぬ。其《その》季節《きせつ》に彼等《かれら》の最後《さいご》の運命《うんめい》である薪《まき》や炭《すみ》に伐《き》られるやうに一|番《ばん》適當《てきたう》した組織《そしき》に變化《へんくわ》することを餘儀《よぎ》なくされるのである。彼等《かれら》はそれから其《そ》の貴重《きちよう》な呼吸器《こきふき》であつた枯葉《かれは》を一|枚《まい》でも枝《えだ》から放《はな》すまいとし又《また》離《はな》れまいとして居《ゐ》る。生育《せいいく》の機能《きのう》が停止《ていし》されると共《とも》に粘着力《ねんちやくりよく》を失《うしな》ふべき筈《はず》の葉柄《えふへい》が確乎《しつかり》と保《たも》たれてある。そこで乾燥《かんさう》した枯葉《かれは》は少《すこ》しのことにさへ相《あひ》倚《よ》つてさや/\と互《たがひ》に恐怖《きやうふ》を耳語《さゝや》くのである。然《しか》し樹木《じゆもく》が吸收《きふしう》して獲《え》た物質《ぶつしつ》の一|部《ぶ》を地《つち》及《およ》び空氣《くうき》に還元《くわんげん》せしめようとして凡《すべ》ての葉《は》を梢《こずゑ》から奪《うば》つて、到《いた》る處《ところ》空濶《くうくわつ》で且《かつ》簡單《かんたん》にすることを好《この》む冬《ふゆ》の目《め》には、櫟《くぬぎ》の枯葉《かれは》は錯雜《さくざつ》し、溷濁《こんだく》して見《み》えねばならぬ。それで巨人《きよじん》を載《の》せた西風《にしかぜ》が其《その》爪先《つまさき》にそれを蹴飛《けと》ばさうとしても、恐《おそ》ろしく執念深《しふねんぶか》い枯葉《かれは》は泣《な》いてさうして其《そ》の力《ちから》を保《たも》たうとする。偶《たまたま》力《ちから》が足《た》りないで吹《ふ》き散《ち》らされたのは、さういふ時《とき》に非常《ひじやう》に便利《べんり》なやうに捲《ま》いてあるので、どんな陰《かげ》でも其《そ》の身《み》を託《たく》する場所《ばしよ》を求《もと》めてころ/\と轉《ころ》がつて行《い》つては、自分《じぶん》の伴侶《なかま》が一つに相《あひ》倚《よ》り相《あひ》抱《いだ》いて微風《びふう》にさへ絶《た》えず響《ひゞき》を立《た》てゝ戰慄《せんりつ》しつゝあるのである。
勘次《かんじ》は斯《か》ういふ櫟《くぬぎ》の木《き》を植《う》ゑて林《はやし》を造《つく》るべき土地《とち》の開墾《かいこん》をする爲《ため》にもう幾年《いくねん》といふ間《あひだ》雇《やと》はれて其《そ》の力《ちから》を竭《つく》した。彼《かれ》は漸《やうや》く林相《りんさう》を形《かたち》づくつて來《き》た櫟林《くぬぎばやし》に沿《そ》うて田圃《たんぼ》を越《こ》えて走《はし》つた。田圃《たんぼ》の鴫《しぎ》が何《なに》に驚《おどろ》いたかきゝと鳴《な》いて、刈株《かりかぶ》を掠《かす》めるやうにして慌《あわ》てゝ飛《とん》で行《いつ》た。さうして後《のち》は白《しろ》く閉《とざ》した氷《こほり》が時々《ときどき》ぴり/\と鳴《なつ》てしやり/\と壞《こは》れるのみで只《たゞ》靜《しづ》かであつた。田圃《たんぼ》を透《とほ》して林《はやし》の間《あひだ》から見《み》える其《その》遠《とほ》い山々《やま/\》の雲《くも》は稍《やゝ》薄《うす》くなつて空《そら》を濁《にご》して居《ゐ》た。軈《やが》て雜木林《ざふきばやし》の枝頭《えださき》が少《すこ》し動《うご》いたと思《おも》つたらごうつといふ響《ひゞき》が勘次《かんじ》の耳《みゝ》に鳴《な》つた。巨人《きよじん》の脚《あし》が逼《せま》つたのである。彼《かれ》はむつと思《おも》はず呼吸《こきふ》が切迫《せつぱく》した。
毎日《まいにち》吹《ふ》き渡《わた》る西風《にしかぜ》は乾燥《かんさう》しつゝある凡《すべ》ての物《もの》を更《さら》に乾燥《かんさう》させねば止《や》まない。雨《あめ》が稀《まれ》にしんみりと降《ふ》つても西風《にしかぜ》は朝《あさ》から一|日《にち》青《あを》い常緑木《ときはぎ》の葉《は》をも泥《どろ》の中《なか》へ拗切《ちぎ》つて撒布《まきち》らす程《ほど》吹《ふ》き募《つの》れば、それだけで土《つち》はもう殆《ほと》んど乾《かわ》かされるのである。土《つち》が保有《ほいう》すべき水分《すゐぶん》がそれ程《ほど》蒸發《じようはつ》し盡《つく》しても其《そ》の吹《ふ》き渡《わた》る間《あひだ》は西風《にしかぜ》は決《けつ》して空《そら》に一|滴《てき》の雨《あめ》さへ催《もよほ》させぬ。それでも有繋《さすが》に深《ふか》く水《みづ》を藏《ざう》して居《ゐ》る土《つち》は垢《あか》の如《ごと》き表皮《へうひ》のみを掻《か》き拂《はら》つて行《ゆ》く疾風《しつぷう》の爲《ため》には容易《ようい》に其《そ》の力《ちから》を失《うしな》はないで、夜《よ》が更《ふ》ければ幾《いく》らでも空氣中《くうきちう》に保《たも》たれた水分《すゐぶん》を微細《びさい》に結晶《けつしやう》させて一|杯《ぱい》に白《しろ》く引《ひ》きつける。土《つち》が徹宵《よつぴて》さういふ作用《さよう》を營《いとな》んだばかりに、日《ひ》は拂曉《あけがた》の空《そら》から横《よこ》にさうして斜《なゝめ》に其《そ》の霜《しも》を解《と》かして、西風《にしかぜ》は直《たゞち》にそれを乾《かわ》かして残酷《ざんこく》に表土《へうど》の埃《ほこり》を空中《くうちう》に吹《ふ》き捲《ま》くる。其《そ》の力《ちから》が烈《はげ》しい程《ほど》拂曉《ふつげう》の霜《しも》が白《しろ》く、其《そ》れが白《しろ》い程《ほど》亂《みだ》れて飛《と》ぶ鴉《からす》の如《ごと》き簇雲《むらくも》を遠《とほ》い西山《せいざん》の頂巓《いたゞき》に伴《ともな》うて疾風《しつぷう》は驅《かけ》るのである。兩方《りやうはう》が疲憊《ひはい》して勢《いきほひ》を消耗《せうまう》する季節《きせつ》の變化《へんくわ》を見《み》るまでは其《そ》の爭《あらそ》ひは止《や》むことがない。
其《そ》の日《ひ》も埃《ほこり》が天《てん》を焦《こが》して立《た》つた。其《そ》の埃《ほこり》は黄褐色《くわうかつしよく》で霧《きり》の如《ごと》く地上《ちじやう》の凡《すべ》てを掩《おほ》ひ且《か》つ包《つゝ》んだ。雜木林《ざふきばやし》は一|齊《せい》に斜《なゝめ》に傾《かたぶ》かうとして梢《こずゑ》は彎曲《わんきよく》を描《ゑが》いた。樹木《じゆもく》は皆《みな》互《たがひ》に泣《な》いて囁《さゝや》きながら、幾《いく》らか日《ひ》の明《あか》るさをも妨《さまた》げて居《ゐ》る其《そ》の濃霧《のうむ》から遁《のが》れようとするやうに間斷《かんだん》なく騷《さわ》いだ。霧《きり》は悲慘《みじめ》な凡《すべ》ての物《もの》を互《たがひ》に知《し》らせまいとして吹《ふ》き立《た》ち/\數《すう》十|間《けん》の距離《きより》に於《おい》ては其《そ》の物體《ぶつたい》の形状《けいじやう》をも明《あきら》かに示《しめ》さない。雜木林《ざふきばやし》の樹木《じゆもく》は開墾地《かいこんち》の周圍《しうゐ》にも混亂《こんらん》した。然《しか》し勘次《かんじ》が目《め》を放《はな》つて居《ゐ》るのは足《あし》の爪先《つまさき》二三|尺《じやく》の、今《いま》唐鍬《たうぐは》を以《もつ》て伐去《きりさ》つて遙《はるか》に後《うしろ》へ引《ひ》いてそつと棄《す》てた趾《あと》の一|點《てん》である。埃《ほこり》は土《つち》に幾《いく》らでも濕《うるほ》ひを持《も》つた彼《かれ》の足《あし》もとからは立《た》たなかつた。おつぎは勘次《かんじ》が起《おこ》した塊《かたまり》を一つ/\に萬能《まんのう》の脊《せ》で叩《たゝ》いてさらりと解《ほぐ》して平《たひら》にならして居《ゐ》る。輕鬆《けいしよう》な土《つち》から凝集《こゞ》つて居《ゐ》た塊《かたまり》は解《ほぐ》せば直《すぐ》に吹《ふ》き拂《はら》はれた。おつぎは當面《まとも》に埃《ほこり》を受《う》けるのには遠《とほ》く吹《ふ》きつける土砂《どしや》が頬《ほゝ》を走《はし》つて不快《ふくわい》であつた。手拭《てぬぐひ》の端《はし》を捲《ま》くつて沿《あ》びせる埃《ほこり》の爲《ため》に髮《かみ》の毛《け》の荒《あ》れるのを酷《ひど》く嫌《きら》つた。それでも其《その》手《て》もとは疎略《そりやく》ではなかつた。勘次《かんじ》は矢立《やたて》の如《ごと》き硬直《かうちよく》な身體《からだ》を伸長《しんちやう》し屈曲《くつきよく》させて一|歩《ぽ》/\と運《はこ》んだ。彼《かれ》は周圍《しうゐ》に無數《むすう》な樹木《じゆもく》の泣《な》いて囁《さゝや》くのを耳《みゝ》に入《い》れなかつた。加之《それのみでなく》彼《かれ》は自分《じぶん》の耳朶《みゝたぶら》に鳴《な》るさへ心《こゝろ》づかぬ程《ほど》懸命《けんめい》に唐鍬《たうぐは》を打《う》つた。彼《かれ》は滿身《まんしん》に汗《あせ》して居《ゐ》た。
卯平《うへい》は暇《ひま》を惜《を》しがる勘次《かんじ》が唐鍬《たうぐは》を執《とつ》て出《で》た時《とき》朝餉《あさげ》の後《あと》の口《くち》を五月蠅《うるさ》く鳴《な》らしながら火鉢《ひばち》の前《まへ》にどつかりと坐《すわ》つて居《ゐ》た。破《やぶ》れた草葺《くさぶき》の家《いへ》をゆさぶつて西風《にしかぜ》がごうつと打《う》ちつけて來《き》た時《とき》には火鉢《ひばち》の※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》はまだ白《しろ》く灰《はひ》の皮《かは》を被《かぶ》つて暖《あたゝ》かゝつた。天井《てんじやう》もない屋根裏《やねうら》から煤《すゝ》が微《かす》かにさら/\と散《ち》つて、時々《ときどき》ぽつりと凝集《こゞ》つた儘《まゝ》に落《お》ちた。喬木《けうぼく》が遮《さへぎ》り立《た》つて其《そ》の梢《こずゑ》に蒼《あを》い空《そら》を見《み》せて居《ゐ》る庭《には》へすら疾風《しつぷう》の驚《おどろ》くべき周到《しうたう》な手《て》が袋《ふくろ》の口《くち》を解《と》いて倒《さかさ》にしたやうに埃《ほこり》が滿《み》ちてさら/\と沈《しづ》んだ。一|日《にち》さうして止《と》め處《ど》もなく駈《か》つて行《ゆ
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