に成《な》つて居《ゐ》てそれほど汚穢《むさ》い感《かん》じは與《あた》へられなかつた。彼《かれ》は今《いま》熾《さかん》な暑《あつ》い日《ひ》を仰《あふ》いだ目《め》を放《はな》つて俄《にはか》に物陰《ものかげ》を探《さが》さうとするものゝやうに酷《ひど》く勝手《かつて》が違《ちが》つたのである。
彼《かれ》は暫《しばら》く好《すき》な煙草《たばこ》に屈託《くつたく》して居《ゐ》たが漸《やうや》く日《ひ》が暖《あたゝか》く成《な》り掛《か》けたので、稀《まれ》に生存《せいぞん》して居《ゐ》る往年《わうねん》の朋輩《ほうばい》や近所《きんじよ》への義理《ぎり》かた/″\顏《かほ》を出《だ》す積《つもり》で外《そと》へ出《で》た。勘次《かんじ》とおつぎとが晝餐《ひる》に歸《かへ》つて來《き》た時《とき》に卯平《うへい》は居《ゐ》なかつた。彼《かれ》は夜《よる》に成《な》つてのつそりと戸口《とぐち》に立《た》つた。勘次《かんじ》が庭《には》へ出《で》ようとして大戸《おほど》をがらりと開《あ》けた時《とき》卯平《うへい》と衝突《つきあた》り相《さう》に成《な》つた。勘次《かんじ》は足《あし》もとにずる/\と横《よこた》はつた蛇《へび》を見《み》つけた刹那《せつな》の如《ごと》く悚然《ぞつ》として退去《すさ》つた。
卯平《うへい》は缺《か》けた齒齦《はぐき》で煙管《きせる》を横《よこ》に噛《か》んでは脣《くちびる》をぎつと締《し》めると口《くち》が芒《すゝき》で裂《さ》いた樣《やう》に見《み》えた。老衰《らうすゐ》してから餘計《よけい》にのつそりした卯平《うへい》の身體《からだ》は、それでも以前《いぜん》のがつしりした骨格《ほねぐみ》が聳《そび》えて側《そば》に居《ゐ》る勘次《かんじ》を異樣《いやう》に壓《あつ》した。卯平《うへい》は五六|日《にち》の間《あひだ》毎日《まいにち》唯《たゞ》ぶら/\と出《で》ては黄昏近《たそがれちか》くかそれでなければ夜《よる》に成《な》つて歸《かへ》つた。勘次《かんじ》は毎日《まいにち》唐鍬《たうぐは》持《も》つて林《はやし》へ出《で》た。おつぎは半纏《はんてん》を引掛《ひつか》けて針《はり》の師匠《しゝやう》へ通《かよ》つた。おつぎはもう幾年《いくねん》といふ永《なが》い間《あひだ》のことではあるが、それでも極《きま》つた月日《つきひ》を繼續《けいぞく》して針仕事《はりしごと》を勵《はげ》む餘裕《よゆう》がなく漸《やうや》く手《て》についたかと思《おも》ふと途中《とちう》を切《き》つたり止《や》めたりするので思《おも》ふ樣《やう》な上達《じやうたつ》はなかつた。おつぎは暇《ひま》を偸《ぬす》んでは一|生懸命《しやうけんめい》で針《はり》を執《と》つた。卯平《うへい》がのつそりとして箸《はし》を持《も》つのは毎朝《まいあさ》こせ/\と忙《いそが》しい勘次《かんじ》が草鞋《わらぢ》を穿《はい》て出《で》ようとする時《とき》である。おつぎは卯平《うへい》の爲《ため》に火鉢《ひばち》へ※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》を活《い》けてやつたり、お鉢《はち》を側《そば》へ供《そな》へたりするので幾《いく》らか時間《じかん》が後《おく》れる。さうすると勘次《かんじ》は擔《かつ》いだ唐鍬《たうぐは》をどさりと置《お》いたり、閾《しきゐ》を出《で》たり這入《はひ》つたり、唯《たゞ》忸怩《もぢ/\》として居《ゐ》ては、口《くち》に出《だ》せない或《ある》物《もの》を包《つゝ》むやうな恐《おそ》ろしい權幕《けんまく》でおつぎを見《み》る、勘次《かんじ》はそれでも慊《あきた》らないでおつぎの姿《すがた》が戸口《とぐち》を出《で》るまでは庭《には》に立《た》つて居《ゐ》ることもある。勘次《かんじ》は毎朝《まいあさ》出《で》て行《ゆ》く方面《はうめん》が異《ことな》つて居《ゐ》るにも拘《かゝは》らず、同時《どうじ》に立《た》つて行《ゆ》くのを見《み》なければ心《こゝろ》が濟《す》まないのであつた。毎朝《まいあさ》さうするので
「おとつゝあは行《い》けな、爺《ぢい》こと見《み》てやんなくつちや成《な》んめえな」おつぎは竊《ひそか》に勘次《かんじ》を窘《たしな》めていふことがある。勘次《かんじ》は恐《おそ》ろしい權幕《けんまく》で凝然《ぢつ》と立《た》つた儘《まゝ》おつぎを睨《にら》んでさうして卯平《うへい》をちらと一|瞥《べつ》しては、卯平《うへい》の目《め》を憚《はゞか》る樣《やう》にしてさつさと唐鍬《たうぐは》を擔《かつ》いで出《で》て行《ゆ》く。卯平《うへい》は自分《じぶん》の爲《ため》におつぎが遲《おそ》く成《な》る時《とき》には
「俺《お》ら自分《じぶん》でやつから汝《わ》りや構《かま》あねえで行《い》けよ」おつぎを促《うなが》し立《た》てた。卯平《うへい》は當座《たうざ》の内《うち》は其處《そこ》ら此處《ここ》らへ行《い》つては自分《じぶん》からは求《もと》めないでも、暫《しばら》く遭《あ》はなかつた間柄《あひだがら》で、短《みじか》い日《ひ》の落《お》ちるのも知《し》らずに噺《はなし》をしては百姓《ひやくしやう》相當《さうたう》な不味《まづ》い馳走《ちそう》に成《な》るのであつたが、段々《だん/\》互《たがひ》に珍《めづ》らしくなくなつてからは彼《かれ》は餘《あま》り外《そと》へも出《で》ないで※[#「煢−冖」、第4水準2−79−80]然《ぽつさり》として好《す》きな煙草《たばこ》にのみ屈託《くつたく》した。彼《かれ》は晝飯《ひるめし》といふと殊《こと》に冷《つめ》たい粗剛《こは》い飯《めし》を厭《いと》うて箸《はし》を執《と》るのが辛《つら》いやうでもあつた。其《そ》れで彼《かれ》は時々《とき/″\》村落《むら》の店《みせ》へ行《い》つて豆腐《とうふ》の一|丁位《ちやうぐらゐ》に腹《はら》を塞《ふさ》げた。皿《さら》の豆腐《とうふ》を隅《すみ》から箸《はし》で拗切《ちぎ》つて見《み》ては餘《あま》りに冷《つめた》いので、腰《こし》の痛《いた》みを思《おも》ひ出《だ》して小《ちひ》さな鍋《なべ》を借《か》りて暖《あたゝ》めた。さうしては遂《つひ》一|杯《ぱい》の酒《さけ》が欲《ほし》くなつて其處《そこ》でむつゝりと時間《じかん》を潰《つぶ》した。豆腐《とうふ》は彼《かれ》の齒齦《はぐき》に最《もつと》も適當《てきたう》した食料《しよくれう》であつた。
卯平《うへい》は身體《からだ》が惡《わる》く成《な》つてから僅《わづか》の間《あひだ》でも覺悟《かくご》をしたので幾《いく》らでも財布《さいふ》には蓄《たくは》へが出來《でき》て居《ゐ》た。彼《かれ》は何程《なにほど》節約《せつやく》しても遂《つひ》にじり/\と減《へつ》て行《ゆ》くのみである財布《さいふ》に縋《すが》つて、芒《すゝき》で裂《さ》いた樣《やう》に閉《と》ぢた其《そ》の口《くち》に何《なん》でも噛《か》み殺《ころ》して居《ゐ》るのだといふ容子《やうす》をして其《その》日《ひ》々々と刻《きざ》んで過《すご》した。彼《かれ》は一|日《にち》凝然《ぢつ》として冷《つめ》たい火鉢《ひばち》の前《まへ》に胡坐《あぐら》を掻《か》いて居《ゐ》ることもあつた
與吉《よきち》は學校《がくかう》から歸《かへ》つてひつそりとした家《いへ》に只《たゞ》卯平《うへい》がむつゝりとして居《ゐ》るのを見《み》ると威勢《ゐせい》よく駈《か》けて來《き》たのも悄《しよ》げて風呂敷包《ふろしきづゝみ》の書籍《しよせき》をばたりと座敷《ざしき》へ投《な》げて庭《には》へ出《で》て畢《しま》ふ。卯平《うへい》は
「よき、待《ま》つてろ、そら」と財布《さいふ》から面倒《めんだう》に五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を拾《ひろ》ひ出《だ》して投《なげ》てやる。與吉《よきち》は戸《と》の陰《かげ》に居《ゐ》ては忸怩《もぢ/\》して容易《ようい》に取《と》らないで然《しか》も欲《ほ》し相《さう》に筵《むしろ》の上《うへ》の銅貨《どうくわ》を見《み》る。卯平《うへい》はさうすると又《また》のつそりと懶《ものう》げに身體《からだ》を戸口《とぐち》まで動《うご》かして與吉《よきち》の手《て》に渡《わた》してやる。與吉《よきち》は一|散《さん》に駈《か》けて菓子《くわし》を求《もと》めに行《ゆ》く。卯平《うへい》の窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の眼《め》が後《あと》で獨《ひとり》蹙《しが》んだやうに成《な》るのである。
卯平《うへい》が村落《むら》の店《みせ》に懶《ものう》い身體《からだ》を据《す》ゑて煙草《たばこ》を吹《ふ》かして居《ゐ》る處《ところ》へ與吉《よきち》は行合《いきあは》せることがあつても遠《とほ》くの方《はう》から卯平《うへい》を見《み》て居《ゐ》て、近《ちか》づきもしないが去《さ》らうともしないで居《ゐ》る。卯平《うへい》は屹度《きつと》ガラス戸《ど》を立《たて》て店臺《みせだい》から自分《じぶん》で菓子《くわし》をとつてやる。それでも與吉《よきち》は菓子《くわし》を噛《か》ぢりながら側《そば》へは寄《よ》らうともしなかつた。
「與吉《よきち》らたえしたもんだな、始終《とほして》もらつてな」店《みせ》の女房《にようばう》がいふのを聞《き》くのは與吉《よきち》よりも寧《むし》ろ卯平《うへい》が心《こゝろ》に滿足《まんぞく》を感《かん》ずるのであつた。然《しか》し與吉《よきち》は恁《か》うして段々《だん/\》卯平《うへい》に近《ちか》づいて學校《がくかう》から歸《かへ》つたといつては
「爺《ぢい》」といつて戸口《とぐち》に立《た》つやうに成《な》つた。遂《つひ》には彼《かれ》は
「爺《ぢい》くんねえか」と上《あが》り框《がまち》に胸《むね》を持《も》たせて、ばた/\と下駄《げた》で土間《どま》を叩《たゝ》きながら卯平《うへい》に錢《ぜに》を請《こ》ふやうに成《な》つた。それでも彼《かれ》は錢《ぜに》とは明白地《あからさま》にはいはない。
「汝《わ》りや、何《なに》くろつちんでえ」むつゝりした卯平《うへい》が態《わざ》とかう聞《き》くと
「呉《く》んねえか、買《か》あんだから」與吉《よきち》は又《また》ぼんやりと然《しか》も熱心《ねつしん》に要求《えうきう》する。其《その》態度《たいど》を卯平《うへい》は只《たゞ》快《こゝろ》よく思《おも》ふのであつた。
與吉《よきち》が懷《なづ》くまでには日數《ひかず》が經《た》つた。卯平《うへい》は勘次《かんじ》との間《あひだ》は豫期《よき》して居《ゐ》た如《ごと》く冷《ひやゝ》がではあつたが、丁度《ちやうど》落付《おちつ》かない藁屑《わらくづ》を足《あし》で掻《か》つ拂《ぱ》いては鷄《にはとり》が到頭《たうとう》其《そ》の巣《す》を作《つく》るやうに、彼《かれ》は互《たがひ》にこそつぱい勘次《かんじ》の側《そば》に幾分《いくぶん》づゝでも身《み》も心《こゝろ》も落付《おちつけ》ねばならなく餘儀《よぎ》なくされた。さうして彼《かれ》は自分《じぶん》の定《さだ》まつた家《いへ》其《そ》の物《もの》は假令《たとひ》どうであらうとも、心《こゝろ》の一|部《ぶ》には遠慮《ゑんりよ》から離《はな》れた餘裕《よゆう》が生《しやう》じて來《き》て彼《かれ》は僅《わづか》に五六|日《にち》と思《おも》ふ内《うち》に卅|日《にち》以上《いじやう》を經過《けいくわ》して畢《しま》つたのであつた。其《そ》の間《あひだ》彼《かれ》は只《たゞ》の一|度《ど》でも軟《やはら》かな飯《めし》を快《こゝろ》よく嚥《の》み下《くだ》したことがない、勞働者《らうどうしや》の多《おほ》く貪《むさぼ》らねばならぬ強健《きやうけん》なる胃《ゐ》は到底《たうてい》軟《やはらか》な物《もの》に堪《た》へ得《う》る處《ところ》ではない。齒《は》に硬《こは》く感《かん》ずる物《もの》でなければ食事《しよくじ》から食事《しよくじ》までの間《あひだ》を保《たも》ち能《
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