》るから枯燥《こさう》して憐《あは》れげであつた。彼《かれ》は少《すこ》しきや/\と痛《いた》む腰《こし》を延《のば》して荷物《にもつ》を脊負《せお》つて立《た》つた。捨《す》てた燐寸《マツチ》の燃《も》えさしが道端《みちばた》の枯草《かれくさ》に火《ひ》を點《つ》けて愚弄《ぐろう》するやうな火《ひ》がべろ/\と擴《ひろ》がつても、見向《みむ》かうともせぬ程《ほど》彼《かれ》は懶《ものう》げである。野田《のだ》からは十|里《り》に足《た》らぬ平地《へいち》の道《みち》を鬼怒川《きぬがは》に沿《そ》うた自分《じぶん》の村落《むら》まで來《く》るのに、冬《ふゆ》の短《みじか》い日《ひ》が雜木林《ざふきばやし》の梢《こずゑ》に彼《かれ》を待《ま》たなかつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の家《いへ》に着《つ》いた時《とき》は醤油《しやうゆ》を提《さ》げた手《て》が痛《いた》い程《ほど》冷《ひ》えて居《ゐ》た。彼《かれ》は漸《やつと》のことで戸口《とぐち》に立《た》つた。勘次《かんじ》を喚《よ》ばうとして見《み》たら内《うち》はひつそりと闇《くら》い。戸口《とぐち》に手《て》を當《あ》てゝ見《み》たら鍵《かぎ》が掛《かけ》てあつた。
「居《ゐ》たかえ」それでも卯平《うへい》は呶鳴《どな》つて見《み》たが返辭《へんじ》がない。卯平《うへい》は口《くち》の内《うち》で呟《つぶや》いて裏戸口《うらとぐち》へ廻《まは》つて見《み》たら其處《そこ》は内《うち》から掛金《かけがね》が掛《かゝ》つて居《ゐ》る。彼《かれ》はそれでも煙管《きせる》を出《だ》して戸《と》の隙間《すきま》から掛金《かけがね》をぐつと突《つ》いたら栓《せん》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さし》てなかつたので直《すぐ》に外《はづ》れた。彼《かれ》は闇《くら》い閾《しきゐ》を跨《また》いで袂《たもと》の燐寸《マツチ》をすつと點《つ》けた。幾年《いくねん》居《ゐ》なくても勝手《かつて》を知《し》つて居《ゐ》るので彼《かれ》は柱《はしら》へ懸《かけ》てある手《て》ランプを點《つ》けて、取《と》り敢《あへ》ず手足《てあし》を暖《あたゝ》める爲《ため》に麁朶《そだ》をぽち/\と折《を》つて火鉢《ひばち》へ燻《く》べた。煤《すゝ》けた藥罐《やくわん》を五|徳《とく》へ掛《かけ》てそれから彼《かれ》は草鞋《わらぢ》をとつた。乾《かわ》いた道《みち》を歩《ある》いて來《き》たので幾《いく》らも汚《よご》れない足《あし》の底《そこ》を二三|度《ど》づゝ手《て》でこすつて座敷《ざしき》へ上《あが》つた。
勘次《かんじ》は南《みなみ》の風呂《ふろ》へ行《い》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は晝《ひる》は寸暇《すんか》をも惜《をし》んで勞働《らうどう》をするので一つには其《そ》れが夜《よ》なべの仕事《しごと》を勵《はげ》み得《え》ない程《ほど》の疲勞《ひらう》を覺《おぼ》えしめて居《ゐ》るのでもあるが、少《すこ》し懷《ふところ》が窮屈《きうくつ》でなくなつてからは長《なが》い夜《よ》の休憇時間《きうけいじかん》には滅多《めつた》に繩《なは》を綯《な》ふこともなく風呂《ふろ》に行《い》つては能《よ》く噺《はなし》をしながら出殼《でがら》の茶《ちや》を啜《すゝ》つた。
其《その》夜《よ》與吉《よきち》は南《みなみ》の女房《にようばう》から薄荷《はくか》の入《はひ》つた駄菓子《だぐわし》を二つばかり貰《もら》つた。裏《うら》の垣根《かきね》から桑畑《くはばたけ》を越《こ》えて歩《ある》きながら與吉《よきち》は菓子《くわし》を舐《しやぶ》つた。
「どれ、俺《おれ》げもちつと出《だし》て見《み》ねえか」おつぎは與吉《よきち》の手《て》から少《すこ》し缺《か》いて自分《じぶん》の口《くち》へ入《い》れた。
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、241−12]《ねえ》は大《え》かくおつ缺《け》えちや厭《や》だぞう」與吉《よきち》は懸念《けねん》していふと
「おゝ薄荷《はくか》だこら、口《くち》ん中《なか》すう/\すら、おとつゝあげも遣《や》つて見《み》ろ」おつぎは又《ま》た菓子《くわし》へ手《て》を掛《か》けようとすると
「えゝから、よきげ嘗《な》めさせろ」勘次《かんじ》はおつぎを制《せい》した。三|人《にん》は他人《ひと》の目《め》が開《あ》いてない闇夜《やみよ》の小徑《こみち》を恁《か》うして自分《じぶん》の庭《には》へ戻《もど》つた。
「どうしたんだんべ、おとつゝあ」おつぎは戸《と》の隙間《すきま》から射《さ》す明《あか》りを見《み》て俄《にはか》に立《た》ち止《どま》つていつた。勘次《かんじ》は竦《すく》んだやうに成《な》つて默《だま》つた。おつぎは戸《と》の隙間《すきま》から覗《のぞ》いて
「爺《ぢい》見《み》てえだな、おとつゝあ」と小聲《こごゑ》で告《つ》げた。それから勘次《かんじ》も覗《のぞ》いて、鍵《かぎ》を外《はづ》して這入《はひ》つた。與吉《よきち》は見識《みし》らぬ爺《ぢい》さんが居《ゐ》るので羞《はに》かんでおつぎの後《うしろ》へ隱《かく》れた。
「爺《ぢい》だ」とおつぎは叫《さけ》んで卯平《うへい》の側《そば》へ寄《よ》つた。
「爺《ぢい》は今日《けふ》來《き》たのか」おつぎの挨拶《あいさつ》に續《つゞ》いて
「おとつゝあ遲《おそ》かつたな」勘次《かんじ》もいつた。
「出《で》だすのもそんなに早《はや》かなかつたつけが、暫《しばら》く歩《ある》きつけねえ所爲《せゐ》かなんぼにも足《あし》が出《で》ねえで、かういに遲《おそ》くなる積《つもり》もなかつたつけが」卯平《うへい》は重《おも》い口《くち》でいつた。
「餘《よ》つ程《ぽど》待《ま》つてゝか爺《ぢい》は」おつぎは麁朶《そだ》を折《を》り足《た》しながらいつた。
「火《ひい》吹《ふ》つたけたばかりよ」卯平《うへい》は其《そ》の窪《くぼ》んだ茶色《ちやいろ》の眼《め》を蹙《しか》めるるやうにして
「おつうも大《え》かくなつたな、途中《とちう》でなんぞ行逢《いきや》つちや分《わか》んねえな、そんだが汝《わ》りや有繋《まさか》俺《お》れこた忘《わす》れなかつたつけな」
「忘《わす》れめえな爺《ぢい》は」おつぎは卯平《うへい》に對《たい》してこそつぱい一|皮《かは》が間《あひだ》を隔《へだ》てゝ居《ゐ》るやうな感《かん》じがして居《ゐ》ながら、其《そ》の癖《くせ》の甘《あま》えた樣《やう》な舌《した》でいつてちう/\と鳴《な》り出《だ》した藥罐《やくわん》へ手《て》を掛《か》けた。卯平《うへい》はおつぎの挨拶《あいさつ》を今更《いまさら》の如《ごと》くしみ/″\と嬉《うれ》しく感《かん》じた。卯平《うへい》はお品《しな》が死《し》んで三|年目《ねんめ》の盆《ぼん》に來《き》た時《とき》不器用《ぶきよう》な容子《ようす》の彼《かれ》がどうして思《おも》ひついたかおつぎへ花簪《はなかんざし》を一つ買《か》つて來《き》た。十七のおつぎがどれ程《ほど》それを喜《よろこ》んだか知《し》れなかつた。おつぎは決《けつ》してそれを忘《わす》れなかつた。
「爺《ぢい》げお茶《ちや》入《せ》えべえ」おつぎは立《た》つて茶碗《ちやわん》を洗《あら》つた。卯平《うへい》は濃霧《のうむ》に塞《ふさ》がれた森《もり》の中《なか》へ踏込《ふみこ》むやうな一|種《しゆ》の不安《ふあん》を感《かん》じつゝ來《き》たのであつたが、彼《かれ》はおつぎの仕打《しうち》に心《こゝろ》が晴々《せい/\》した。卯平《うへい》は、まだ菓子《くわし》を舐《しやぶ》りながら隱《かく》れるやうにして居《ゐ》る與吉《よきち》を見《み》て
「俺《お》れこと忘《わす》れたんべ此《こ》ら、大《え》かく成《な》つたと思《おも》つて來《き》たつけが本當《ほんたう》に分《わか》んねえ程《ほど》大《え》かく成《な》つたな」寡言《むくち》な卯平《うへい》が此《こ》の夜《よ》は種々《いろ/\》に饒舌《しやべ》つた。
「此《こ》んでも學校《がくかう》へ行《い》くんだもの」おつぎは茶《ちや》を入《い》れながらいつた。
「さうら」と卯平《うへい》は荷物《にもつ》へ縛《しば》りつけた煎餅《せんべい》の包《つゝみ》を與吉《よきち》へ投《な》げ出《だ》してやつた。
「おつう、手拭《てねげ》解《と》えて見《み》ねえか、野田《のだ》でも一|番《ばん》うめえんだから」卯平《うへい》はいつたがおつぎの手《て》が暇《ひま》どれるので自分《じぶん》で手拭《てぬぐひ》を解《と》いて勘次《かんじ》の前《まへ》へ出《だ》して、彼《かれ》は更《さら》に一|枚《まい》をとつて與吉《よきち》へ遣《や》つた。
「よき、それ貰《もら》あもんだ。爺《ぢい》呉《く》れるつちのに」おつぎは茶碗《ちやわん》を卯平《うへい》と勘次《かんじ》との前《まへ》へ据《す》ゑつゝいつた。
「こつちへ上《あが》つて貰《もら》あもんだ」勘次《かんじ》もいつた。土間《どま》に立《た》つて居《ゐ》た與吉《よきち》はそつと草履《ざうり》を脱《ぬ》いで危險相《あぶなさう》に手《て》を出《だ》して取《とつ》た。さうして直《す》ぐに偸《ぬす》むやうに噛《か》んだ。
「遠《とほ》くの方《はう》のがんだぞ、汝《われ》うまかんべ」おつぎは自分《じぶん》も一|枚《まい》を噛《かじ》り乍《なが》らいつた。
「うまかねえやそんなに」與吉《よきち》はおつぎの袂《たもと》へ隱《かく》れるやうにしていつた。甘味《あまみ》の強《つよ》い菓子《くわし》を噛《か》んだ口《くち》に、さうして醤油《しやうゆ》の味《あぢ》を區別《くべつ》するまで發達《はつたつ》した舌《した》を持《も》たない與吉《よきち》は卯平《うへい》が遠《とほ》く齎《もたら》したと聞《き》かせられた程《ほど》には感《かん》じなかつたのである。
「其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》こといふもんぢやねえ、そんだら※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、244−8]《ねえ》げよこしつちめえ」おつぎは小《ちひ》さな聲《こゑ》でいつて尻目《しりめ》に掛《か》けた。與吉《よきち》はさういひ乍《なが》ら手《て》にした丈《だけ》はぽり/\と噛《か》んだ。乾燥《かんさう》した響《ひゞき》が三|人《にん》の口《くち》に鳴《な》つた。
卯平《うへい》は幾杯《いくはい》も只《たゞ》茶《ちや》を啜《すゝ》つた。壯健《たつしや》だといつても彼《かれ》は齒《は》がげつそりと落《お》ちて軟《やはら》かな物《もの》でなければ噛《か》めなくなつて居《ゐ》た。卯平《うへい》は又《また》おつぎへ醤油《しやうゆ》の罎《びん》を出《だ》して
「俺《お》れ持《も》つて來《く》ればなんぼでも譯《わけ》ねえんだが荷物《にもつ》があるもんだから、此《こ》れつ切《きり》しか持《も》つちや來《き》ねえつちやつた、此《こ》んでも俺《お》ら藏《くら》ぢや此《この》上《うへ》はねえんだ、炊事《かしき》は汝《われ》すんだんべから、汝《われ》そつちへ藏《しま》つて置《お》けな」
「大變《たえへん》だつけな爺《ぢい》、荷物《にもつ》あんのになあ、此《こ》れだけぢや暫《しば》らくあんべよ」おつぎは罎《びん》を柱《はしら》の傍《そば》へ置《お》いた。
「荷物《にもつ》はさうでもねえが、身體《からだ》利《き》かねえでな、どうも」卯平《うへい》は煙管《きせる》を噛《か》んだ。
「爺《ぢい》はどうしたつぺ、お飯《まんま》たべたんべか」おつぎは敢《あへ》ていひ掛《か》けるといふ態度《たいど》でもなく勘次《かんじ》に向《むか》つていつた。
「おらどつちでもえゝや」卯平《うへい》は少《すこ》し遠慮《ゑんりよ》を交《まじ》へていつた。
「どつちでもえゝつて腹《はら》減《へ》つちやしやうあんめえな」おつぎは茶碗《ちやわん》と箸《はし》とを棚《たな》から卸《おろ》し
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