わ/″\と鳴《な》る。世間《せけん》が俄《にはか》に心《こゝろ》ぼそくなつた。
 お品《しな》は復《ま》た天秤《てんびん》を卸《おろ》した。お品《しな》は竹《たけ》の短《みじか》い天秤《てんびん》の先《さき》へ木《き》の枝《えだ》で拵《こしら》へた小《ちひ》さな鍵《かぎ》の手《て》をぶらさげてそれで手桶《てをけ》の柄《え》を引《ひ》つ懸《か》けて居《ゐ》た。お品《しな》は百姓《ひやくしやう》の隙間《すきま》には村《むら》から豆腐《とうふ》を仕入《しい》れて出《で》ては二三ヶ|村《そん》を歩《ある》いて來《く》るのが例《れい》である。手桶《てをけ》で持《も》ち出《だ》すだけのことだから資本《もとで》も要《いら》ない代《かはり》には儲《まうけ》も薄《うす》いのであるが、それでも百姓《ひやくしやう》ばかりして居《ゐ》るよりも日毎《ひごと》に目《め》に見《み》えた小遣錢《こづかひせん》が取《と》れるのでもう暫《しばら》くさうして居《ゐ》た。手桶《てをけ》一提《ひとさげ》の豆腐《とうふ》ではいつもの處《ところ》をぐるりと廻《まは》れば屹度《きつと》なくなつた。還《かへ》りには豆腐《とうふ》の壞《こは》れで幾《いく》らか白《しろ》くなつた水《みづ》を棄《す》てゝ天秤《てんびん》は輕《かる》くなるのである。お品《しな》は何時《いつ》でも日《ひ》のあるうちに夜《よ》なべに繩《なは》に綯《な》ふ藁《わら》へ水《みず》を掛《か》けて置《お》いたり、落葉《おちば》を攫《さら》つて見《み》たりそこらこゝらと手《て》を動《うご》かすことを止《や》めなかつた。天性《ね》が丈夫《ぢやうぶ》なのでお品《しな》は仕事《しごと》を苦《くる》しいと思《おも》つたことはなかつた。
 それが此《この》日《ひ》は自分《じぶん》でも酷《ひど》く厭《いや》であつたが、冬至《とうじ》が來《く》るから蒟蒻《こんにやく》の仕入《しいれ》をしなくちや成《な》らないといつて無理《むり》に出《で》たのであつた。冬至《とうじ》といふと俄商人《にはかあきうど》がぞく/\と出來《でき》るので急《いそ》いで一|遍《ぺん》歩《ある》かないと、其《その》俄商人《にはかあきうど》に先《せん》を越《こ》されて畢《しま》ふのでお品《しな》はどうしても凝然《ぢつ》としては居《ゐ》られなかつた。蒟蒻《こんにやく》は村《むら》には無《な》いので、仕入《しいれ》をするのには田圃《たんぼ》を越《こ》えたり林《はやし》を通《とほ》つたりして遠《とほ》くへ行《ゆ》かねばならぬ。それでお品《しな》は其《その》途中《とちう》で商《あきなひ》をしようと思《おも》つて此《こ》の日《ひ》も豆腐《とうふ》を擔《かつ》いで出《で》た。生憎《あいにく》夜《よる》から冴《さ》え切《き》つて居《ゐ》た空《そら》には烈《はげ》しい西風《にしかぜ》が立《た》つて、それに逆《さから》つて行《ゆ》くお品《しな》は自分《じぶん》で酷《ひど》く足下《あしもと》のふらつくのを感《かん》じた。ぞく/\と身體《からだ》が冷《ひ》えた。さうして豆腐《とうふ》を出《だ》す度《たび》に水《みづ》へ手《て》を刺込《さしこ》むのが慄《ふる》へるやうに身《み》に染《し》みた。かさ/\に乾燥《かわ》いた手《て》が水《みづ》へつける度《たび》に赤《あか》くなつた。皹《ひゞ》がぴり/\と痛《いた》んだ。懇意《こんい》なそここゝでお品《しな》は落葉《おちば》を一燻《ひとく》べ焚《た》いて貰《もら》つては手《て》を翳《かざ》して漸《やつ》と暖《あたゝ》まつた。蒟蒻《こんにやく》を仕入《しい》れて出《で》た時《とき》はそんなこんなで暇《ひま》をとつて何時《いつ》になく遲《おそ》かつた。お品《しな》は林《はやし》を幾《いく》つも過《す》ぎて自分《じぶん》の村《むら》へ急《いそ》いだが、疲《つか》れもしたけれど懶《ものう》いやうな心持《こゝろもち》がして幾度《いくたび》か路傍《みちばた》へ荷《に》を卸《おろ》しては休《やす》みつゝ來《き》たのである。
 お品《しな》は手桶《てをけ》の柄《え》へ横《よこ》たへた竹《たけ》の天秤《てんびん》へ身《み》を投《な》げ懸《か》けてどかりと膝《ひざ》を折《を》つた。ぐつたり成《な》つたお品《しな》はそれでなくても不見目《みじめ》な姿《すがた》が更《さら》に檢束《しどけ》なく亂《みだ》れた。西風《にしかぜ》の餘波《なごり》がお品《しな》の後《うしろ》から吹《ふ》いた。さうして西風《にしかぜ》は後《うしろ》で括《くゝ》つた穢《きたな》い手拭《てぬぐひ》の端《はし》を捲《まく》つて、油《あぶら》の切《き》れた埃《ほこり》だらけの赤《あか》い髮《かみ》の毛《け》を扱《こ》きあげるやうにして其《その》垢《あか》だらけの首筋《くびすぢ》を剥出《むきだし》にさせて居《ゐ》る。夫《それ》と共《とも》に林《はやし》の雜木《ざふき》はまだ持前《もちまへ》の騷《さわ》ぎを止《や》めないで、路傍《みちばた》の梢《こずゑ》がずつと繞《しな》つてお品《しな》の上《うへ》からそれを覗《のぞ》かうとすると、後《うしろ》からも/\林《はやし》の梢《こずゑ》が一|齊《せい》に首《くび》を出《だ》す。さうして暫《しばら》くしては又《また》一|齊《せい》に後《うしろ》へぐつと戻《もど》つて身體《からだ》を横《よこ》に動搖《ゆさぶり》ながら笑《わら》ひ私語《さゞめ》くやうにざわ/\と鳴《な》る。
 お品《しな》は身體《からだ》に變態《へんたい》を來《きた》したことを意識《いしき》すると共《とも》に恐怖心《きようふしん》を懷《いだ》きはじめた。三四|日《か》どうもなかつたから大丈夫《だいぢやうぶ》だとは思《おも》つて見《み》ても、恁《か》う凝然《ぢつ》として居《ゐ》ると遠《とほ》くの方《ほう》へ滅入《めい》つて畢《しま》ふ樣《やう》な心持《こゝろもち》がして、不斷《ふだん》から幾《いく》らか逆上性《のぼせしやう》でもあるのだがさう思《おも》ふと耳《みゝ》が鳴《な》るやうで世間《せけん》が却《かへつ》て靜《しづ》かに成《な》つて畢《しま》つたやうに思《おも》はれた。不圖《ふと》氣《き》が付《つ》いた時《とき》お品《しな》ははき/\として天秤《てんびん》を擔《かつ》いだ。林《はやし》が竭《つ》きて田圃《たんぼ》が見《み》え出《だ》した。田圃《たんぼ》を越《こ》せば村《むら》で、自分《じふん》の家《いへ》は田圃《たんぼ》のとりつきである。青《あを》い煙《けぶり》がすつと騰《のぼ》つて居《ゐ》る。お品《しな》は二人《ふたり》の子供《こども》を思《おも》つて心《こゝろ》が跳《をど》つた。林《はやし》の外《はづ》れから田圃《たんぼ》へおりる處《ところ》は僅《わづ》かに五六|間《けん》であるが、勾配《こうばい》の峻《けは》しい坂《さか》でそれが雨《あめ》のある度《たび》にそこらの水《みづ》を聚《あつ》めて田圃《たんぼ》へ落《おと》す口《くち》に成《な》つて居《ゐ》るので自然《しぜん》に土《つち》が抉《ゑぐ》られて深《ふか》い窪《くぼみ》が形《かたちづく》られて居《ゐ》る。お品《しな》は天秤《てんびん》を斜《なゝめ》に横《よこ》へ向《む》けて、右《みぎ》の手《て》を前《まへ》の手桶《てをけ》の柄《え》へ左《ひだり》の手《て》を後《うしろ》の手桶《てをけ》の柄《え》へ掛《か》けて注意《ちうい》しつゝおりた。それでも殆《ほと》んど手桶《てをけ》一|杯《ぱい》に成《な》り相《さう》な蒟蒻《こんにやく》の重量《おもみ》は少《すこ》しふらつく足《あし》を危《あやう》く保《たも》たしめた。やつと人《ひと》の行《ゆ》き違《ちが》ふだけの狹《せま》い田圃《たんぼ》をお品《しな》はそろ/\と運《はこ》んで行《ゆ》く。お品《しな》は白茶《しらちや》けた程《ほど》古《ふる》く成《な》つた股引《もゝひき》へそれでも先《さき》の方《ほう》だけ繼《つ》ぎ足《た》した足袋《たび》を穿《は》いて居《ゐ》る。大《おほ》きな藁草履《わらざうり》は固《かた》めたやうに霜解《しもどけ》の泥《どろ》がくつゝいて、それがぼた/\と足《あし》の運《はこ》びを更《さら》に鈍《にぶ》くして居《ゐ》る。狹《せま》く連《つらな》つて居《ゐ》る田《た》を竪《たて》に用水《ようすゐ》の堀《ほり》がある。二三株《にさんかぶ》比較的《ひかくてき》大《おほ》きな榛《はん》の木《き》の立《た》つて居《ゐ》る處《ところ》に僅《わづか》一枚《いちまい》板《いた》の橋《はし》が斜《なゝめ》に架《か》けてある。お品《しな》は橋《はし》の袂《たもと》で一寸《ちよつと》立《た》ち止《どま》つた。さうして近《ちか》づいた自分《じぶん》の家《いへ》を見《み》た。村落《むら》は臺地《だいち》に在《あ》るのでお品《しな》の家《いへ》の後《うしろ》は直《すぐ》に斜《なゝめ》に田圃《たんぼ》へずり落《お》ち相《さう》な林《はやし》である。楢《なら》や雜木《ざふき》の間《あひだ》に短《みじか》い竹《たけ》が交《まじ》つて居《ゐ》る。いゝ加減《かげん》大《おほ》きくなつた楢《なら》の木《き》は皆《みな》葉《は》が落《お》ち盡《つく》して居《ゐ》るので、其《その》小枝《こえだ》を透《とほ》して凹《くぼ》んだ棟《やのむね》が見《み》える。白《しろ》い羽《はね》の鷄《にはとり》が五六|羽《ぱ》、がり/\と爪《つめ》で土《つち》を掻《か》つ掃《ぱ》いては嘴《くちばし》でそこを啄《つゝ》いて又《また》がり/\と土《つち》を掻《か》つ掃《ぱ》いては餘念《よねん》もなく夕方《ゆふがた》の飼料《ゑさ》を求《もと》めつゝ田圃《たんぼ》から林《はやし》へ還《かへ》りつゝある。お品《しな》は非常《ひじやう》な注意《ちうい》を以《もつ》て斜《なゝめ》な橋《はし》を渡《わた》つた。四足目《よあしめ》にはもう田圃《たんぼ》の土《つち》に立《た》つた。其《その》時《とき》は日《ひ》は疾《とう》に沒《ぼつ》して見渡《みわた》す限《かぎ》り、田《た》から林《はやし》から世間《せけん》は只《たゞ》黄褐色《くわうかつしよく》に光《ひか》つてさうしてまだ明《あか》るかつた。お品《しな》は田圃《たんぼ》からあがる前《まへ》に天秤《てんびん》を卸《おろ》して左《ひだり》へ曲《まが》つた。自分《じぶん》の家《いへ》の林《はやし》と田《た》との間《あひだ》には人《ひと》の足趾《あしあと》だけの小徑《こみち》がつけてある。お品《しな》は其《その》小徑《こみち》と林《はやし》との境界《さかひ》を劃《しき》つて居《ゐ》る牛胡頽子《うしぐみ》の側《そば》に立《たつ》た。鷄《にはとり》の爪《つめ》の趾《あと》が其處《そこ》の新《あた》らしい土《つち》を掻《か》き散《ち》らしてあつた。お品《しな》は土《つち》を手《て》で聚《あつ》めて草履《ざうり》の底《そこ》でそく/\とならした。お品《しな》の姿《すがた》が庭《には》に見《み》えた時《とき》には西風《にしかぜ》は忘《わす》れたやうに止《や》んで居《ゐ》て、庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》にぶつ懸《か》けた大根《だいこ》の乾《から》びた葉《は》も動《うご》かなかつた。白《しろ》い鷄《にはとり》はお品《しな》の足《あし》もとへちよろ/\と駈《か》けて來《き》て何《なに》か欲《ほ》し相《さう》にけろつと見上《みあげ》た。お品《しな》は平常《いつも》のやうに鷄《にはとり》抔《など》へ構《かま》つては居《ゐ》られなかつた。お品《しな》は戸口《とぐち》に天秤《てんびん》を卸《おろ》して突然《いきなり》
「おつう」と喚《よ》んだ。
「おつかあか」と直《すぐ》におつぎの返辭《へんじ》が威勢《ゐせい》よく聞《きこ》えた。それと同時《どうじ》に竈《かまど》の火《ひ》がひら/\と赤《あか》くお品《しな》の目《め》に映《うつ》つた。朝《あさ》から雨戸《あまど》は開《あ》けないので内《うち》はうす闇《くら》くなつて居《ゐ》る。外《そと》の光《ひかり》を見《み》て居《ゐ》たお品《しな》の目《め》には直《す》
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