んだから觸《さあ》つとがさ/\すんだよ」斯《か》ういつておつぎの聲《こゑ》は少《すこ》し明瞭《はつきり》として來《き》た。おつぎは羞《はぢ》を含《ふく》んだ容子《ようす》を作《つく》つた。卯平《うへい》は悲慘《みじめ》な燒小屋《やけごや》を思《おも》ふと、自分《じぶん》が與吉《よきち》と共《とも》に失錯《しくじ》つたことが自分《じぶん》を苦《くるし》めて酷《ひど》く辛《つら》かつた。彼《かれ》は俄《にはか》に目《め》を蹙《しか》めた。
「痛《いて》えのか」おつぎは目敏《めざと》くそれを見《み》て心《こゝろ》もとなげにいつた。おつぎは窶《やつ》れて沈《しづ》んだ卯平《うへい》の側《そば》に居《ゐ》ると、遂《つひ》自分《じぶん》も沈《しづ》んで畢《しま》つて只《たゞ》凝然《ぢつ》と悚《すく》んだやうに成《な》つて居《ゐ》るより外《ほか》はなかつた。それでもおつぎは長《なが》い時間《じかん》をさうして空《むな》しく費《つひや》すことは許容《ゆる》されなかつた。
「又《また》來《く》つかんな」とおつぎは沈《しづ》んだ聲《こゑ》でいつて出《で》て行《ゆ》くのを、後《あと》で卯平《うへい》の眥《めじり》からは涙《なみだ》が少《すこ》し洩《も》れて、其《そ》の小《ちひ》さな玉《たま》が暫《しばら》く窶《やつ》れた皺《しわ》に引掛《ひつかゝ》つてさうしてほろりと枕《まくら》に落《お》ちるのであつた。
勘次《かんじ》は一|度《ど》も念佛寮《ねんぶつれう》を顧《かへり》みなかつた。五六|日《にち》過《す》ぎて與吉《よきち》は復《ま》た醫者《いしや》へ連《つ》れられた。醫者《いしや》は穢《きたな》く成《な》つた繃帶《ほうたい》を解《と》いてどろりとした白《しろ》い藥《くすり》を復《ま》た陶製《たうせい》の板《いた》で練《ね》つて貼《は》つた。先頃《さきごろ》のよりも濃《こ》くして貼《は》つたからもう此《こ》れで遠《とほ》い道程《みちのり》を態々《わざ/\》來《こ》なくても此《こ》れを時々《とき/″\》貼《は》つてやれば自然《しぜん》に乾《かわ》いて畢《しま》ふだらうと、其《そ》の白《しろ》い藥《くすり》とそれからガーゼとを袋《ふくろ》へ入《い》れてくれた。與吉《よきち》は俄《にはか》に勢《いきほ》ひづいた。彼《かれ》は時々《とき/″\》卯平《うへい》の側《そば》へも行《い》つた。卯平《うへい》は横臥《わうぐわ》した目《め》に與吉《よきち》の繃帶《ほうたい》を見《み》て其《そ》の心《こゝろ》を痛《いた》めた。
或《ある》日《ひ》與吉《よきち》が行《い》つた時《とき》、先頃《さきごろ》念佛《ねんぶつ》の時《とき》に卯平《うへい》へ酒《さけ》を侑《すゝ》めた小柄《こがら》な爺《ぢい》さんが枕元《まくらもと》に居《ゐ》た。
「おめえ、さうだに力《ちから》落《おと》すなよ、此《こ》らつ位《くれえ》な火傷《やけど》なんぞどうするもんぢやねえ、俺《お》れ癒《なほ》してやつから、どうした彼《あ》ん時《とき》からぢや痛《いた》かあんめえ、彼《あ》の禁厭《まじねえ》で火《ひ》しめしせえすりや奇態《きてえ》だから」さういつて爺《ぢい》さんは佛壇《ぶつだん》の隅《すみ》に置《お》いた燈明皿《とうみやうざら》を出《だ》して其《そ》の油《あぶら》を火傷《やけど》へ塗《ぬ》つた。卯平《うへい》は其《そ》の爲《す》る儘《まゝ》に任《まか》せて動《うご》かなかつた。
「力《ちから》落《おと》しちや駄目《だめ》だから、俺《お》らなんざこんな處《ところ》ぢやねえ、こつちな腕《うで》、馬《うま》に咬《かま》つた時《とき》にや、自分《じぶん》で見《み》ちやえかねえつて云《ゆ》はつたつけが、そんでも俺《お》れ自分《じぶん》で手拭《てねげ》の端《はし》斯《か》う齒《は》で咥《くえ》えてぎいゝつと縛《しば》つて、さうして俺《お》ら馬《うま》曳《ひ》いて來《き》たな、汗《あせ》は豆粒《まめつぶ》位《ぐれえ》なのぼろ/\垂《た》れつけがそんでも到頭《たうとう》我慢《がまん》しつちやつた、何《なん》でも力《ちから》落《おと》しせえしなけりや癒《なほ》んな直《すぐ》だから、年《とし》寄《よ》つちや癒《なほ》りが面倒《めんだう》だの何《なん》だのつてそんなこたあねえから」爺《ぢい》さんは只管《ひたすら》卯平《うへい》の元氣《げんき》を引立《ひきた》てようとした。
「俺《お》らそんだが、さうえ怪我《けが》しても馬《うま》は憎《にく》かねえのよ、馬《うま》に煎《え》れんのが癖《くせ》でひゝんと騷《さわ》いだ處《ところ》俺《お》れ手《てえ》横《よこ》さ出《だ》して抑《おさ》えたもんだから畜生《ちきしやう》見界《みさけえ》もなく噛《かぢ》ツたんだからなあ」と彼《かれ》は酒《さけ》を飮《の》んでは居《ゐ》なかつ
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