立《た》つて居《ゐ》る後《うしろ》の林《はやし》の竹《たけ》は外側《そとがは》がぐるりと枯《か》れて、焦《こ》げた枝《えだ》が青《あを》い枝《えだ》を掩《おほ》うて幹《みき》は火《ひ》の近《ちか》かつた部分《ぶゞん》は油《あぶら》を吹《ふ》いてきら/\と滑《なめら》かに變《かは》つて居《ゐ》た。
東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》の庭《には》には此《こ》の日《ひ》も村落《むら》の者《もの》が大勢《おほぜい》集《あつ》まつて大《おほ》きな燒趾《やけあと》の始末《しまつ》に忙殺《ばうさつ》された。それで其《その》人々《ひと/″\》は勘次《かんじ》の庭《には》に手《て》を藉《か》さうとはしなかつた。彼等《かれら》は隣《となり》の主人《しゆじん》に對《たい》して平素《へいそ》に報《むく》いようとするよりも將來《しやうらい》を怖《おそ》れて居《ゐ》る。彼等《かれら》は皆《みな》齊《ひと》しく靜《しづ》かに落《おち》ついた白晝《はくちう》の庭《には》に立《たつ》ことが其《そ》の家族《かぞく》の目《め》に觸《ふ》れ易《やす》いことを知《し》つて居《ゐ》るのである。勘次《かんじ》は疲《つか》れた身體《からだ》を其《そ》の日《ひ》も餘念《よねん》なく使役《しえき》した。其《そ》の夜《よ》は三|人《にん》が空《そら》を戴《いたゞ》いて狹《せま》い筵《むしろ》に明《あか》すのには、僅《わづか》でも其《その》身體《からだ》を暖《あたゝ》める火《ひ》は消滅《せうめつ》して居《ゐ》たのである。三|人《にん》は其《その》夜《よ》南《みなみ》の家《いへ》に導《みちび》かれた。勘次《かんじ》もおつぎも汗《あせ》と灰《はひ》と埃《ほこり》とに汚《よご》れた身體《からだ》を風呂《ふろ》に洗《あら》ひ落《おと》した。快《こゝろ》よかつた其《その》風呂《ふろ》が氣盡《きづく》しな他人《たにん》の家《いへ》に彼等《かれら》をぐつすりと熟睡《じゆくすゐ》させて二|日間《かかん》の疲勞《ひらう》を忘《わす》れさせようとした。
與吉《よきち》の横頬《よこほゝ》は皮膚《ひふ》が僅《わづか》に水疱《すゐはう》を生《しやう》じて膨《ふく》れて居《ゐ》た。彼《かれ》は其《そ》の日《ひ》の機嫌《きげん》が惡《わる》かつた。南《みなみ》の女房《にようばう》は其《そ》の水疱《すゐはう》に頭髮《あたま》へつける胡麻《ごま》の油《あぶら》を塗《ぬ》つてやつた。
勘次《かんじ》は燒木杙《やけぼつくひ》を地《ち》に建《た》てゝ彼《かれ》に第《だい》一の要件《えうけん》たる假《かり》の住居《すまゐ》を造《つく》つた。近所《きんじよ》から聚《あつ》めた粟幹《あはがら》の僅少《きんせう》な材料《ざいれう》が葺草《ふきぐさ》であつた。それは漸《やつ》と雨《あめ》の洩《も》るか洩《も》らないだけの薄《うす》い葺方《ふきかた》であつた。固《もと》より壁《かべ》を塗《ぬ》る暇《ひま》はない。そこらこゝらの林《はやし》の間《あひだ》に刈《か》り残《のこ》された萱《かや》や篠《しの》を刈《か》つて來《き》て、乏《とぼ》しい藁《わら》と交《ま》ぜて垣根《かきね》でも結《ゆ》ふやうにそれを内外《うちそと》から裂《さ》いた竹《たけ》を當《あ》てゝぎつと締《し》めた。彼《かれ》は南《みなみ》の家《いへ》から借《か》りた鋸《のこぎり》で大小《だいせう》の燒木杙《やけぼつくひ》を挽切《ひつき》つた。遂《しまひ》に彼《かれ》は後《うしろ》から燒《や》けた竹《たけ》を伐《き》つて來《き》て簀《す》の子《こ》のやうに横《よこた》へて低《ひく》い床《ゆか》を造《つく》つた。竹《たけ》を伐《き》つた鉈《なた》も彼《かれ》の所有《もの》ではなかつた。彼《かれ》の熱火《ねつくわ》に燒《や》かれて獨《ひとり》で冷《さ》めた鉈《なた》も鎌《かま》も凡《すべ》ての刄物《はもの》はもう役《やく》には立《た》たなかつた。彼《かれ》の手《て》に完全《くわんぜん》に保《たも》たれたものは彼《かれ》が自分《じぶん》の手《て》を恃《たの》んで居《ゐ》る唐鍬《たうぐは》のみである。彼《かれ》は此《こ》の壁《かべ》もない小屋《こや》を造《つく》る爲《ため》に二|日《か》ばかりの間《あひだ》は毫《すこし》も他《た》を顧《かへり》みる暇《いとま》がなかつた程《ほど》心《こゝろ》が忙《いそが》しかつた。彼《かれ》の悲慘《みじめ》な狹《せま》い小屋《こや》には藥鑵《やくわん》と茶碗《ちやわん》とそれから火事《くわじ》の夕方《ゆふがた》に隣《となり》の主人《しゆじん》がよこした新《あたら》しい手桶《てをけ》とのみで、夜《よる》の身《み》を横《よこた》へるのに一|枚《まい》の蒲團《ふとん》もなかつた。砥石《といし》を掛《か》けて磨《みが》かねば使用《しよう》に堪《
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