た》飛《と》んで行《い》つた。然《しか》し其《そ》の二|號《がう》の血清《けつせい》は何處《どこ》にも品切《しなぎれ》であつた。それは或《ある》期間《きかん》を經過《けいくわ》すれば効力《かうりよく》が無《な》くなるので餘計《よけい》な仕入《しいれ》もしないのだと藥舖《くすりや》ではいつた。それに値段《ねだん》が不廉《たかい》ものだからといふのであつた。勘次《かんじ》はそれでも幾《いく》ら位《ぐらゐ》するものかと思《おも》つて聞《き》いたら一罎《ひとびん》が三|圓《ゑん》だといつた。勘次《かんじ》は例令《たとひ》品物《しなもの》が有《あ》つた處《ところ》で、自分《じぶん》の現在《いま》の力《ちから》では到底《たうてい》それは求《もと》められなかつたかも知《し》れぬと今更《いまさら》のやうに喫驚《びつくり》して懷《ふところ》へ手《て》を入《い》れて見《み》た。
醫者《いしや》は更《さら》に勘次《かんじ》を藥舖《くすりや》へ走《はし》らせた。勘次《かんじ》は只《たゞ》醫者《いしや》のいふが儘《まゝ》に息《いき》せき切《き》つて駈《か》けて歩《ある》く間《あひだ》が、屹度《きつと》どうにか防《ふせ》ぎをつけてくれるだらうとの恃《たのみ》もあるので僅《わづか》に自分《じぶん》の心《こゝろ》を慰《なぐさ》め得《う》る唯《ゆゐ》一の機會《きくわい》であつた。醫者《いしや》は一|號《がう》の倍量《ばいりやう》を注射《ちうしや》した。然《しか》しそれは徒勞《とらう》であつた。病人《びやうにん》の發作《ほつさ》は間《あひだ》が短《みじか》くなつた。病人《びやうにん》は其《その》度《たび》に呼吸《こきふ》に壓迫《あつぱく》を感《かん》じた。近所《きんじよ》の者《もの》も三四|人《にん》で苦惱《くなう》する枕元《まくらもと》に居《ゐ》て皆《みな》憂愁《いうしう》に包《つゝ》まれた。お品《しな》は突然《とつぜん》
「野田《のだ》へは知《し》らせてくれめえか」と聞《き》いた。勘次《かんじ》も近所《きんじよ》の者《もの》も卯平《うへい》へ知《し》らせることも忘《わす》れて只《たゞ》苦惱《くなう》する病人《びやうにん》を前《まへ》に控《ひか》へて困《こま》つて居《ゐ》るのみであつた。
「明日《あした》は屹度《きつと》來《く》るやうにいつて遣《や》つたよ」勘次《かんじ》はお品《しな》の耳《みゝ》へ口《くち》を當《あて》ていつた。今更《いまさら》のやうに近所《きんじよ》の者《もの》が頼《たの》まれて夜通《よどほ》しにも行《ゆ》くといふことに成《な》つた。
次《つぎ》の日《ひ》の午餐過《ひるすぎ》に卯平《うへい》は使《つかひ》と共《とも》にのつそりと其《そ》の長大《ちやうだい》な躯幹《からだ》を表《おもて》の戸口《とぐち》に運《はこ》ばせた。彼《かれ》は閾《しきゐ》を跨《また》ぐと共《とも》に、其《その》時《とき》はもう只《たゞ》痛《いた》い/\というて泣訴《きふそ》して居《ゐ》る病人《びやうにん》の聲《こゑ》を聞《き》いた。
「何處《どこ》が痛《いた》いんだ、少《すこ》しさすらせて見《み》つか」勘次《かんじ》が聞《き》いても
「背中《せなか》が仕《し》やうがねえんだよ」と病人《びやうにん》はいふのみである。
「お品《しな》さん、おとつゝあ來《き》たよ、確乎《しつかり》しろよ」と近所《きんじよ》の女房《にようばう》がいつた。それを聞《き》いてお品《しな》は暫時《しばし》靜《しづ》かに成《な》つた。
「品《しな》どうしたえ、大儀《こは》えのか」寡言《むくち》な卯平《うへい》は此《これ》だけいつた。
「おとつゝあ待《ま》つてたよ、俺《お》ら仕《し》やうねえよ」お品《しな》は情《なさけ》なさ相《さう》にいつた。
「うむ、困《こま》つたなあ」卯平《うへい》は深《ふか》い皺《しわ》を蹙《しが》めていつた。さうして後《あと》は一|言《ごん》もいはない。お品《しな》の病状《びやうじやう》は段々《だん/\》險惡《けんあく》に陷《おちい》つた。醫者《いしや》はモルヒネの注射《ちうしや》をして僅《わづか》に睡眠《すゐみん》の状態《じやうたい》を保《たも》たせて其《そ》の苦痛《くつう》から遁《のが》れさせようとした。それでも暫《しばら》くすると病人《びやうにん》は復《ま》た意識《いしき》を恢復《くわいふく》して、びり/\と身體《からだ》を撼《ふる》はせて、太《ふと》い繩《なは》でぐつと吊《つる》されたかと思《おも》ふやうに後《うしろ》へ反《そりかへ》つて、其《その》劇烈《げきれつ》な痙攣《けいれん》に苦《くる》しめられた。
「先生《せんせい》さん、わたしや此《こ》れでもどうしたものでがせうね」お品《しな》は突然《とつぜん》に聞《き》いた。醫者《いしや》は只《たゞ》口髭《くちひげ》
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