はれて居《ゐ》る。さうして低《ひく》く相《あひ》接《せつ》して居《ゐ》る木立《こだち》との間《あひだ》に截然《くつきり》と強《つよ》い線《せん》を描《ゑが》いて空《そら》は憎《にく》い程《ほど》冴《さえ》て居《ゐ》る。さうだ。凡《すべ》ての植物《しよくぶつ》が有《も》つて居《ゐ》る緑素《りよくそ》は悉皆《みんな》空《そら》が持《も》つて居《ゐ》るのだ。春《はる》になると空《そら》はそれを雨《あめ》に溶解《ようかい》して撒《ま》いてやるのだ。それだから濕《うるほ》うた枝《えだ》はどれでも青《あを》く彩《いろど》られねばならぬ筈《はず》である。それだから幾度《いくたび》百姓《ひやくしやう》の手《て》が耕《たがや》さうとも其《そ》の土《つち》を乾燥《かんさう》して濡《ぬ》らさぬ工夫《くふう》を立《たて》ない限《かぎ》りは、思《おも》はぬ處《ところ》にぽつり/\と草《くさ》の葉《は》が青《あを》く出《で》て、雨《あめ》が降《ふ》れば降《ふ》る程《ほど》何處《どこ》でも一|杯《ぱい》に其《そ》の草《くさ》の葉《は》が濃《こ》く成《な》つて行《ゆ》かねばならぬ筈《はず》である。それを晩秋《ばんしう》の空《そら》が悉皆《みんな》持《も》ち去《さ》るので滅切《めつきり》と冴《さ》える反對《はんたい》に草木《くさき》は凡《すべ》てが乾燥《かんさう》したりくすんだりして畢《しま》ふのに相違《さうゐ》ないのである。
明《あか》るい日《ひ》は全《まつた》く晝《ひる》に成《な》つた。處々《ところ/″\》の島《しま》のやうな畑《はたけ》の縁《へり》から田《た》へ偃《は》ひ掛《かゝ》つて居《ゐ》る料理菊《れうりぎく》の黄《き》な花《はな》が就中《なかでも》一|番《ばん》強《つよ》く日光《につくわう》を反射《はんしや》して近《ちか》いよりは遠《とほ》い程《ほど》快《こゝろ》よく鮮《あざや》かに見《み》えて居《ゐ》る。勘次《かんじ》は始終《しよつちう》手拭《てぬぐひ》を以《もつ》て捲《ま》いた右手《めて》の肘《ひぢ》を抱《かゝ》へるやうにして伏目《ふしめ》に歩《ある》いた。道《みち》に添《そ》うて狹《せま》い堀《ほり》の淺《あさ》い水《みづ》に彼《かれ》の目《め》が放《はな》たれた。がら/\に荒《すさ》んだ狼把草《たうこぎ》やゑぐがぽつ/\と水《みづ》に浸《ひた》つて居《ゐ》る。蒼《あを》い空《そら》は淺《あさ》い水《みづ》の底《そこ》から遙《はる》かに深《ふか》く遠《とほ》く光《ひか》つた。さうして何處《どこ》からか迷《まよ》ひ出《だ》して落付《おちつ》く場所《ばしよ》を見出《みいだ》し兼《か》ねて困《こま》つて居《ゐ》るやうな白《しろ》い雲《くも》が映《うつ》つて、勘次《かんじ》が走《はし》れば走《はし》る程《ほど》先《さき》へ/\と移《うつ》つた。勘次《かんじ》はそれを凝視《みつ》めて行《ゆ》くと何《なん》だか頭腦《あたま》がぐら/\するやうに感《かん》ぜられた。彼《かれ》は昨夜《ゆふべ》は眠《ねむ》らなかつた。彼《かれ》の自分《じぶん》獨《ひとり》で噛《か》み殺《ころ》して居《ゐ》ねばならぬ忌々敷《いま/\し》さが頭腦《あたま》を刺戟《しげき》した。彼《かれ》は只管《ひたすら》肘《ひぢ》の瘡痍《きず》の實際《じつさい》よりも幾倍《いくばい》遙《はるか》に重《おも》く他人《ひと》には見《み》せたい一|種《しゆ》の解《わか》らぬ心持《こゝろもち》を有《も》つて居《ゐ》た。寸暇《すんか》をも惜《をし》んだ彼《かれ》の心《こゝろ》は從來《これまで》になく、自分《じぶん》の損失《そんしつ》を顧《かへり》みる餘裕《よゆう》を有《も》たぬ程《ほど》惑亂《わくらん》し溷濁《こんだく》して居《ゐ》た。白晝《ひる》の日《ひ》は横頬《よこほゝ》に暑《あつ》い程《ほど》に射《さ》し掛《か》けたが周圍《あたり》は依然《やつぱり》冷《つめ》たかつた。堀《ほり》の淺《あさ》い水《みづ》には此《こ》れも冷《つめ》たげに凝然《ぢつ》と身《み》を沈《しづ》めた蛙《かへる》が默《だま》つて彼《かれ》を見《み》て居《ゐ》た。遠《とほ》い田圃《たんぼ》を彼《かれ》は前後《ぜんご》に只《たゞ》一人《ひとり》の行人《かうじん》であつた。遙《はるか》にぽつり/\と見《み》える稻刈《いねかり》の百姓《ひやくしやう》は※[#「煢−冖」、第4水準2−79−80]然《ぽつさり》とした彼《かれ》の目《め》から隱《かく》れようとする樣《やう》に悉皆《みんな》ずつと低《ひく》く身《み》を屈《かゞ》めて居《ゐ》る。明《あか》るい光《ひかり》に滿《み》ちた田圃《たんぼ》を其《そ》の惑亂《わくらん》し溷濁《こんだく》した心《こゝろ》を懷《いだ》いて寂《さび》しく歩數《あゆみ》を積《つ》んで行《ゆ》く彼《かれ》は、玻璃
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