ゐ》ながら尚《なほ》生命《せいめい》を保《たも》ちつゝ日毎《ひごと》に憐《あは》れげな花《はな》をつけた。※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]《こほろぎ》が滅入《めい》る樣《やう》に其《そ》の蔭《かげ》に鳴《な》いた。空《そら》を遙《はるか》に飛《と》んだ椋鳥《むくどり》の群《むれ》が幾《いく》つかに分《わか》れて、地上《ちじやう》に低《ひく》く騷《さわ》いでは梢《こずゑ》を求《もと》めてぎい/\と鳴《な》きつゝ落付《おちつ》かなかつた。到《いた》る處《ところ》荒《あ》れた藪《やぶ》の端《はし》や土手《どて》の瘠《や》せた篠《しの》の梢《こずゑ》に乘《の》り掛《かゝ》つて、之《これ》を噛《か》めば齒《は》がこぼれるといはれて居《ゐ》る毒《どく》な仙人草《せんにんさう》が其《そ》の手《て》を幾《いく》らでも延《のば》して思《おも》ひ切《き》つて蟠《わだかま》つた蔓《つる》が白《しろ》い花《はな》を一|杯《ぱい》につけて、さうして活々《いき/\》としたものは自分《じぶん》のみであることを誇《ほこ》るものゝ如《ごと》く、秋風《あきかぜ》に吹《ふ》かれつゝ白《しろ》い布《ぬの》の樣《やう》にふは/\と動《うご》いた。
 勘次《かんじ》の村落《むら》は臺地《だいち》であるのと鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》が篠《しの》の密生《みつせい》した根《ね》の力《ちから》を以《もつ》て僅《わづか》ながら崩壤《ほうくわい》する土《つち》を引《ひ》き止《と》めたので損害《そんがい》が輕《かる》く濟《す》んだ。それでも幾日《いくにち》か降《ふ》り續《つゞ》いた雨《あめ》が水《みづ》を蓄《たくは》へて低《ひく》い畑《はた》は暫《しばら》く乾《かわ》くことがなかつた。田《た》も其《そ》の水《みづ》の爲《ため》に浸《ひた》つた箇所《かしよ》が少《すくな》くなかつた。勘次《かんじ》は日《ひ》となく夜《よ》となく田畑《たはた》を歩《ある》いて只管《ひたすら》心《こゝろ》を惱《なや》ましたが、漸《やうや》く自分《じぶん》の田畑《たはた》の作物《さくもつ》が僅《わづか》な損害《そんがい》に畢《をは》つたことを慥《たしか》めた時《とき》は彼《かれ》は激甚《げきじん》な被害地《ひがいち》の状况《じやうきやう》を傳聞《でんぶん》して自分《じぶん》の寧《むし》ろ幸《さいはひ》であつたことを竊《ひそか》に悦《よろこ》んだ。彼《かれ》が大豆《だいづ》を引《ひ》いて庭《には》に運《はこ》んだ頃《ころ》はまだ暑《あつ》い日《ひ》が落付《おちつ》いて毬《いが》の割《わ》れ始《はじ》めた栗《くり》の木《き》の梢《こずゑ》から庭《には》をぢり/\と照《てら》して居《ゐ》た。根《ね》が幾日《いくにち》もぐつしりと水《みづ》に浸《ひた》つてた大豆《だいづ》は黄色味《きいろみ》の勝《か》つた褐色《ちやいろ》の莢《さや》も幹《から》も泥《どろ》で汚《よご》れた樣《やう》に黒《くろ》ずんで居《ゐ》た。
 大豆《だいづ》を引《ひ》いたのはそれでも稀《まれ》な晴天《せいてん》であつたので「いひ返《がへ》し」に來《く》る筈《はず》に成《な》つて居《ゐ》た南《みなみ》の女房《にようばう》を頼《たの》んだ。彼等《かれら》は相互《さうご》の便宜上《べんぎじやう》手間《てま》の交換《かうくわん》をするのであるが、彼等《かれら》はそれを「いひどり」というて居《ゐ》る。それで其《そ》の借《か》りた手間《てま》を返《かへ》すのがいひがへしである。大豆《だいづ》は庭《には》に運《はこ》ぶと共《とも》に一攫《ひとつか》みにしては根《ね》を上《うへ》にして先《さき》を丸《まる》く開《あ》いて互《たがひ》の幹《みき》が支柱《しちう》に成《な》るやうにして庭《には》一|杯《ぱい》に立《た》てゝ干《ほ》した。煙草《たばこ》を一|服《ぷく》吸《す》ふだけの時間《じかん》に、成熟《せいじゆく》しきつた大豆《だいづ》は漸《やうや》くぱち/\と輕《かる》い快《こゝろよ》い響《ひゞき》を立《た》てつゝ爆《は》ぜ始《はじ》めた。大豆《だいづ》は悉《ことごと》く庭《には》の土《つち》に倒《たふ》された。三|人《にん》は連枷《ふるぢ》を執《と》つて端《はし》からだん/\と幹《から》を打《う》つた。おつぎと南《みなみ》の女房《にようばう》とは相《あひ》竝《なら》んで勘次《かんじ》に對《たい》して交互《かうご》に打《う》ち卸《おろ》す連枷《ふるぢ》がどさり/\と庭《には》の土《つち》を打《う》つと硬《こは》ばつた大豆《だいづ》の幹《から》はしやりゝ/\と乾燥《かんさう》した輕《かる》い響《ひゞき》を交《まじ》へてくすんだ穢《きたな》い莢《さや》が白《しろ》く割《わ》れて薄青《うすあを》いつやゝかな豆《まめ》の粒《つぶ》が威勢《ゐせい》よく跳《
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