短《みじか》い文中《ぶんちう》に讀上《よみあ》ぐべき神社《じんじや》の名《な》は書《か》いてなくて何郡《なにごほり》何村《なにむら》何神社《なにじんじや》といふ文字《もじ》で埋《うづ》めてある。神官《しんくわん》は其處《そこ》に讀《よ》み至《いた》ると當日《たうじつ》の神社《じんじや》を只《たゞ》口《くち》の先《さき》でいふのである。有繋《さすが》に彼《かれ》は間違《まちが》ふことなしに讀《よ》み退《の》けた。神官《しんくわん》が卓《しよく》の横手《よこて》へ座《ざ》を換《かへ》て一寸《ちよつと》笏《しやく》で指圖《さしづ》をすると氏子《うぢこ》の總代等《そうだいら》が順次《じゆんじ》に榊《さかき》の小枝《こえだ》の玉串《たまくし》を持《も》つて卓《しよく》の前《まへ》に出《で》て其《そ》の玉串《たまくし》を捧《さゝ》げて拍手《はくしゆ》した。彼等《かれら》は只《たゞ》怖《お》づ/\して拍手《はくしゆ》も鳴《な》らなかつた。立《た》ちながら袴《はかま》の裾《すそ》を踏《ふ》んで蹌踉《よろ》けては驚《おどろ》いた容子《ようす》をして周圍《あたり》を見《み》るのもあつた。恁《か》ういふ作法《さはふ》をも見物《けんぶつ》の凡《すべ》ては左《さ》も熱心《ねつしん》らしい態度《たいど》で拜殿《はいでん》に迫《せま》つて見《み》て居《ゐ》た。
おつぎも與吉《よきち》の手《て》を執《と》つて群集《ぐんしふ》に交《まじ》つて立《た》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》も其處《そこ》に在《あ》つたのであるが然《しか》し彼《かれ》はずつと後《うしろ》の樅《もみ》の木陰《こかげ》にぽつさりとして居《ゐ》たのであつた。簡單《かんたん》乍《なが》ら一|日《にち》の式《しき》が畢《をは》つた時《とき》四|斗樽《とだる》の甘酒《あまざけ》が柄杓《ひしやく》で汲出《くみだ》して周圍《しうゐ》に立《た》つて居《ゐ》る人々《ひと/″\》に與《あた》へられた。主《しゆ》として子供等《こどもら》が先《さき》を爭《あらそ》うて其《その》大《おほ》きな茶碗《ちやわん》を換《か》へた。彼等《かれら》は寧《むし》ろ自分《じぶん》の家《うち》で造《つく》つたものゝ方《はう》が佳味《うま》いにも拘《かゝわ》らず大勢《おほぜい》と共《とも》に騷《さわ》ぐのが愉快《ゆくわい》なので、水許《みづばか》りのやうな甘酒《あまざけ》を幾杯《いくはい》も傾《かたむ》けるのである。當日《たうじつ》からでは數日前《すうじつぜん》に當番《たうばん》の者《もの》が村落中《むらぢう》を歩《ある》いて二|合《がふ》づゝでも三|合《がふ》づゝでも白米《はくまい》を貰《もら》つて、夜《よ》になれば當番《たうばん》の者等《ものら》は集《あつま》つた白米《はくまい》で晩餐《ばんさん》の飯《めし》を十|分《ぶん》に焚《た》いて其《その》他《た》は悉《ことごと》く甘酒《あまざけ》に造《つく》り込《こ》む。甘酒《あまざけ》は時間《じかん》が短《みじか》いのと麹《かうぢ》が少《すくな》いのとで熱《あつ》い湯《ゆ》で造《つく》り込《こ》むのが例《れい》である。それだから忽《たちま》ちに甘《あま》く成《な》るけれども亦《また》忽《たちま》ちに酸味《さんみ》を帶《お》びて來《く》る。彼等《かれら》は當日《たうじつ》の前夜《ぜんや》に口見《くちみ》だといつて近隣《きんりん》の者等《ものら》が寄《よ》つてたかつて、鍋《なべ》で幾杯《いくはい》となく沸《わか》しては飮《の》むので夥《したゝ》か減《へ》らして畢《しま》つて、それへ一|杯《ぱい》に水《みづ》を注《さ》して置《お》くのである。
子供等《こどもら》の間《あひだ》に交《まじ》つて與吉《よきち》も互《たがひ》の身體《からだ》を掻《か》き分《わ》ける樣《やう》にして飮《の》んだ。村落《むら》の者《もの》が飮《の》んでる後《うしろ》から木陰《こかげ》に佇《たゝず》んで居《ゐ》た乞食《こじき》がぞろ/\と來《き》て曲物《まげもの》の小鉢《こばち》を出《だ》して要求《えうきう》した。
「よき、それえゝ加減《かげん》にするもんだよ汝《わ》りや」おつぎはまだ茶碗《ちやわん》を放《はな》さない與吉《よきち》の手《て》を曳《ひ》いた。
「待《ま》つてろ汝《わ》ツ等《ら》、さうだにさはり出《で》ねえで、小穢《こぎたね》え」
「此奴等《こねやつら》、汝《わ》ツ等《ら》げ呉《く》れはぐつたこた有《あ》りやしねえ、それにさうだに騷《さわ》ぎやがつて、五月繩《うるせ》え奴等《やつら》だ待《ま》つてるもんだ」
「そうれお前等《めえら》注《つ》えで遣《や》んのにそんな小鉢《こばち》なんぞ桶《をけ》の上《うへ》さ突出《つんだ》させちや畢《を》へねえな、それだらだら垂《た》ツらあ、柄杓《ひしやく》そつちへおん出
前へ
次へ
全239ページ中122ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング