]を蒸籠《せいろう》から杓子《しやくし》で臼《うす》へ扱《こ》き落《おと》しながら側《そば》に立《た》つて居《ゐ》る與吉《よきち》へ少《すこ》し遣《や》つた。程《ほど》よく蒸《む》した其《その》ふかし[#「ふかし」に傍点]を與吉《よきち》は甘相《うまさう》にたべた。おつぎも指《ゆび》に附《つ》いたのを前齒《まへば》で噛《か》むやうにして口《くち》へ入《い》れた。蒸氣《ゆげ》の立《た》つ臼《うす》を勘次《かんじ》は暫《しばら》く杵《きね》の先《さき》で捏《こ》ねた。杵《きね》の先《さき》が粘《ねば》つて離《はな》れなく成《な》る。おつぎは米研桶《こめとぎをけ》へ水《みづ》を汲《く》んでそれへ浮《うか》べた杓子《しやくし》で杵《きね》の先《さき》を扱落《こきおと》して臼《うす》の中《なか》を丸《まる》い形《かたち》に直《なほ》す。さうすると勘次《かんじ》は力《ちから》を極《きは》めて臼《うす》の中央《ちうあう》を打《う》つ。それが幾度《いくど》も反覆《はんぷく》された。庭《には》の木立《こだち》の陰翳《かげ》が濃《こ》く成《な》つて月《つき》の光《ひかり》はきら/\と臼《うす》から反射《はんしや》した。蒸暑《むしあつ》い中《うち》にも凡《すべ》てが水《みづ》の樣《やう》な月《つき》の光《ひかり》を浴《あ》びて凉《すゞ》しい微風《びふう》が土《つち》に觸《ふ》れて渡《わた》つた。おつぎは臼《うす》から餅《もち》を拗切《ねぢき》つて茗荷《めうが》の葉《は》に乘《の》せて一《ひと》つ/\膳《ぜん》へ並《なら》べた。少《すこ》し丸《まる》みを缺《か》いた十三|日《にち》の月《つき》が白《しろ》く其《そ》の一つ/\の茗荷《めうが》の葉《は》の上《うへ》に光《ひか》つた。冷水《れいすゐ》を打《う》つた樣《やう》な※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の葉《は》がゆら/\と動《うご》いて後《うしろ》の林《はやし》の竹《たけ》の梢《こずゑ》もさら/\と鳴《な》つた。
それでも忙《いそが》しいおつぎは汗《あせ》を流《なが》しながら先《ま》づ茗荷《めうが》の餅《もち》を佛壇《ぶつだん》に供《そな》へた。それから別《べつ》に拗切《ねぢき》つた餅《もち》が豆粉《きなこ》と共《とも》に手《て》ランプの下《もと》に置《お》かれた。與吉《よきち》は直《すぐ》に座敷《ざしき》へ坐《すわ》つて待《ま》つた。晩餐《ばんさん》が畢《をは》ると踊子《をどりこ》を誘《さそ》ふ太鼓《たいこ》の音《おと》が漸《やうや》く沈《しづ》み掛《か》けた夜氣《やき》を騷《さわ》がして聞《きこ》え始《はじ》めた。檐《のき》に立《た》つた蚊柱《かばしら》が崩《くづ》れて軈《やが》て座敷《ざしき》を襲《おそ》うた。勘次《かんじ》は麥藁《むぎわら》を一捉《ひとつか》み軒端《のきば》へ投《な》げて、刈《か》つた青草《あをぐさ》をそれへ打《ぶ》つ掛《か》けて、燐寸《マツチ》の火《ひ》を點《つ》けてさうして抑《おさ》へつけた。ぷす/\と燻《いぶ》る煙《けぶり》が蚊《か》を遠《とほ》く散亂《さんらん》せしめる。ぽつと焔《ほのほ》が立《た》つて燃《も》えあがれば水《みづ》を打《う》つた。彼等《かれら》は目鼻《めはな》にしみる青《あを》い煙《けぶり》の中《なか》に裸體《はだか》の儘《まゝ》凝然《ぢつ》として居《ゐ》る。煙《けぶり》が餘所《よそ》へ逸《そ》れゝば箕《み》で煽《あふ》つて家《いへ》の内《うち》へ向《むか》はせた。おつぎは勝手《かつて》の始末《しまつ》をしてそれから井戸端《ゐどばた》で、だら/\と垂《た》れる汗《あせ》を水《みづ》で拭《ぬぐ》つた。手拭《てぬぐひ》を浸《ひた》す度《たび》に小《ちひ》さな手水盥《てうずだらひ》の水《みづ》に月《つき》が全《まつた》く其《そ》の影《かげ》を失《うしな》つて暫《しばら》くすると手水盥《てうずだらひ》の周圍《しうゐ》から聚《あつま》る樣《やう》に段々《だん/\》と月《つき》の形《かたち》が纏《まと》まつて見《み》えて來《く》る。踊子《をどりこ》を誘《さそ》ふ太鼓《たいこ》の音《おと》が自分《じぶん》の村落《むら》のは直《すぐ》垣根《かきね》の外《そと》の樣《やう》に、遠《とほ》い村落《むら》のは繁茂《はんも》して居《ゐ》る林《はやし》の彼方《あなた》に空《そら》に響《ひゞ》いて聞《きこ》える。それが井戸端《ゐどばた》に立《た》つて居《ゐ》るおつぎの心《こゝろ》を誘導《そゝ》つた。同年輩《どうねんぱい》の子《こ》は皆《みな》踊《をどり》に行《ゆ》くのである。おつぎには幾分《いくぶん》それが羨《うらや》ましくぼうつとして太鼓《たいこ》に聞《き》き惚《ほ》れて居《ゐ》た。軟《やはら》かな月《つき》の光《ひかり》におつぎの肌膚《はだ》は白《しろ》
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