き》を透《とほ》して、日光《につくわう》が妙《めう》に肌膚《はだ》へ揉《も》み込《こ》むやうに暖《あたゝ》かで且《か》つ暑《あつ》かつた。春《はる》のやうな日《ひ》に騙《だま》されて雲雀《ひばり》は、そつけない三|稜形《りようけい》の種《たね》が膨《ふく》れつゝまだ一|杯《ぱい》に白《しろ》い蕎麥畑《そばばたけ》やそれから陸稻畑《をかぼばたけ》の上《うへ》に囀《さへづ》つた。それでも幾《いく》らか羽《はね》の運動《うんどう》が鈍《にぶ》く成《な》つて居《ゐ》るのか春《はる》のやうではなく低《ひく》く徘徊《さまよ》うて皺嗄《しやが》れた喉《のど》を鳴《な》らして居《ゐ》る。周圍《しうゐ》の臺地《だいち》からは土瓶《どびん》の蓋《ふた》をとつて釣瓶《つるべ》をごつと傾《かたむ》けたやうに雨水《あまみづ》が一|杯《ぱい》に田《た》に聚《あつま》つて稻《いね》の穗首《ほくび》が少《すこ》し浸《ひた》つた。田圃《たんぼ》も堀《ほり》も一《ひと》つに成《な》つた水《みづ》は土瓶《どびん》の口《くち》から吐《は》き出《だ》すやうに徐《おもむろ》に低《ひく》い田《た》へと落《おち》る。村落《むら》の子供等《こどもら》は「三|平《ぺい》ぴいつく/\」と雲雀《ひばり》の鳴聲《なきごゑ》を眞似《まね》しながら、小笊《こざる》を持《も》つたり叉手《さで》を持《も》つたりしてぢやぶ/\と快《こゝろ》よい田圃《たんぼ》の水《みづ》を渉《わた》つて歩《ある》いた。其處《そこ》には又《また》此《こ》れも春《はる》のやうな日《ひ》に騙《だま》されて、疾《とう》から鳴《な》かなく成《な》つて居《ゐ》た蛙《かへる》がふわりと浮《う》いてはこそつぱい稻《いね》の穗《ほ》に捉《つかま》りながらげら/\と鳴《な》いた。一|杯《ぱい》に塞《ふさ》がつて居《ゐ》る稻《いね》の穗《ほ》の下《した》をそろ/\と偃《は》ひながら水《みづ》が低《ひく》く成《な》つた時《とき》秋《あき》の日《ひ》は落《お》ち掛《か》けた。さうして什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》時《とき》でも其《そ》の本能《ほんのう》を衝動《そゝ》る機會《きくわい》があれば鳴《な》くのだといつて待《ま》つて居《ゐ》る其《そ》の蛙《かへる》もひつそりとした。大雨《おほあめ》の後《あと》の畑《はたけ》へは百姓《ひやくしやう》は大抵《たいてい》控《ひか》へ目《め》にして出《で》なかつた。
 勘次《かんじ》は黄昏《たそがれ》近《ちか》くなつてから獨《ひとり》で草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つて出《で》た。彼《かれ》は何時《いつ》もの道《みち》へは出《で》ないで後《うしろ》の田圃《たんぼ》から林《はやし》へ、それから遠《とほ》く迂廻《うくわい》して畑地《はたち》へ出《で》た。日《ひ》はまだほんのりと明《あか》るかつたので勘次《かんじ》はそつちこつちと空《から》な草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つた儘《まゝ》歩《ある》いた。彼《かれ》は其《そ》れでも良心《りやうしん》の苛責《かしやく》に對《たい》して編笠《あみがさ》で其《そ》の顏《かほ》を隔《へだ》てた。日《ひ》がとつぷりと暮《く》れた時《とき》彼《かれ》は道端《みちばた》へ草刈籠《くさかりかご》を卸《おろ》した。其處《そこ》には畑《はたけ》の周圍《まはり》に一畝《ひとうね》づつに作《つく》つた蜀黍《もろこし》が丈《たけ》高《たか》く突《つ》つ立《た》つて居《ゐ》る。草刈籠《くさかりかご》がすつと地上《ちじやう》にこける時《とき》蜀黍《もろこし》の大《おほき》な葉《は》へ觸《ふ》れてがさりと鳴《な》つた。更《さら》に其《その》葉《は》は何處《どこ》にも感《かん》じない微風《びふう》に動搖《どうえう》して自分《じぶん》のみが怖《おぢ》たやうに騷《さわ》いで居《ゐ》る。穗《ほ》は何《なに》を騷《さわ》ぐのかと訝《いぶか》るやうに少《すこ》し俯目《ふしめ》に見《み》おろして居《ゐ》る。勘次《かんじ》は菜切庖丁《なきりばうちやう》を取出《とりだ》して、其《その》高《たか》い蜀黍《もろこし》の幹《みき》をぐつと曲《まげ》ては穗首《ほくび》に近《ちか》く斜《なゝめ》に伐《き》つた。穗《ほ》は勘次《かんじ》の手《て》に止《とま》つて幹《みき》は急《きふ》に跳《は》ね返《かへ》つた。さうして戰慄《せんりつ》した。勘次《かんじ》は重《おも》く成《な》つた草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つて今度《こんど》は野《の》らの道《みち》を一散《いつさん》に自分《じぶん》の家《うち》へ歸《かへ》つた。次《つぎ》の朝《あさ》勘次《かんじ》は軒端《のきばた》へ横《よこ》に竹《たけ》を渡《わた》して、ゆつさりとする其《そ》の穗《ほ》を縛《しば
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