《とき》、趾《あと》には陸稻《をかぼ》や大豆《だいづ》がひよろ/\と青《あを》ばんだ畑《はたけ》に勘次《かんじ》の茄子《なす》は短《みじか》い畝《うね》が五|畝《うね》ばかりになつて立《た》つて居《ゐ》た。下葉《したは》は黄色《きいろ》くなつて居《ゐ》たがそれでも麥《むぎ》が暫《しばら》く日《ひ》を掩《おほ》うたので皆《みな》根《ね》づいて生長《せいちやう》しかけて居《ゐ》た。假令《たとひ》痩《や》せさせないまでも肥《こや》して行《ゆ》くことをしない畑《はたけ》の土《つち》に茄子《なす》は干稻《ひね》びてそれで處々《ところ/″\》に一《ひと》つ宛《づゝ》花《はな》を持《も》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は朝《あさ》のまだ凉《すゞ》しい、葉《は》に濕《しめ》りのある間《あひだ》に竈《かまど》の灰《はひ》を持《も》つて行《い》つて其《そ》の葉《は》に掛《か》けて遣《や》る丈《だけ》の手數《てすう》は竭《つく》したのである。それで幾《いく》らでも活溌《くわつぱつ》に運動《うんどう》する瓜葉蟲《うりはむし》は防《ふせ》がれた。それは羽《はね》が赤《あか》いので赤蠅《あかばへ》と土地《とち》ではいつて居《ゐ》る。木《き》の灰《はひ》では油蟲《あぶらむし》の湧《わ》くのはどうも出來《でき》なかつた。それから又《また》根切蟲《ねきりむし》が残酷《ざんこく》に堅《かた》い莖《くき》を根《ね》もとからぷきりと噛《か》み倒《たふ》して植《うゑ》た數《かず》の減《へ》るにも拘《かゝは》らず、彼《かれ》は遠《とほ》く畑《はたけ》に出《で》て土《つち》に潜伏《せんぷく》して居《ゐ》る其《その》憎《にく》むべき害蟲《がいちう》を探《さが》し出《だ》して其《その》丈夫《ぢやうぶ》な體《からだ》をひしぎ潰《つぶ》して遣《や》る丈《だけ》の餘裕《よゆう》を身體《からだ》にも心《こゝろ》にも持《も》つて居《ゐ》ない。垣根《かきね》の胡瓜《きうり》は季節《きせつ》の南《みなみ》が吹《ふ》いて、朝《あさ》の靄《もや》がしつとりと乾《かわ》いた庭《には》の土《つち》を濕《しめ》しておりると何《なに》を僻《ひが》んでか葉《は》の陰《かげ》に下《さが》る瓜《うり》が、萎《しぼ》んだ花《はな》のとれぬうちに尻《しり》が曲《まが》つて忽《たちま》ちに蔓《つる》も葉《は》もがら/\に枯《かれ》て畢《しま》つたのであつた。只《たゞ》南瓜《たうなす》だけは其《そ》の特有《もちまへ》の大《おほ》きな葉《は》をずん/\と擴《ひろ》げて蔓《つる》の先《さき》が忽《たちま》ちに厠《かはや》の低《ひく》い廂《ひさし》から垂《た》れた。殊《こと》に栗《くり》の木《き》に絡《から》んだのは白晝《ひるま》の忘《わす》れる程《ほど》長《なが》い間《あひだ》雨戸《あまど》は閉《と》ぢた儘《まゝ》で、假令《たとひ》油蝉《あぶらぜみ》が炒《い》りつけるやうに其處《そこ》らの木《き》毎《ごと》にしがみ附《つ》いて聲《こゑ》を限《かぎ》りに鳴《な》いたにした處《ところ》で、凡《すべ》てが暑《あつ》さに疲《つか》れたやうで寧《むし》ろ極《きは》めて閑寂《かんじやく》な庭《には》を覗《のぞ》いては、葉《は》の陰《かげ》ながら段々《だん/\》に日《に》に燒《や》けつゝ太《ふと》りつゝ臀《しり》の臍《へそ》を剥《む》き出《だ》してどつしりと枝《えだ》から垂《た》れ下《さが》つた。それが僅《わづか》に庭《には》に威勢《ゐせい》をつけて居《ゐ》る。
 一|般《ぱん》にさうではあるが殊《こと》に勘次《かんじ》の手《て》に作《つく》られた蔬菜《そさい》は凡《すべ》て其《そ》の成熟《せいじゆく》が後《おく》れた。それで其《そ》の蔬菜《そさい》が庖丁《はうちやう》にかゝる間《あひだ》は口《くち》にこそつぱい干菜《ほしな》や切干《きりぼし》やそれも缺乏《けつばう》を告《つ》げれば、此《こ》れでも彼等《かれら》の果敢《はか》ない貯蓄心《ちよちくしん》を最《もつと》も發揮《はつき》した菜《な》や大根《だいこん》の鹽辛《しほから》い漬物《つけもの》の桶《をけ》にのみ其《そ》の副食物《ふくしよくぶつ》を求《もと》めるのである。彼等《かれら》は勞働《らうどう》から來《く》る空腹《くうふく》を意識《いしき》する時《とき》は一寸《いつすん》も動《うご》くことの出來《でき》ない程《ほど》俄《にはか》に疲勞《ひらう》を感《かん》ずることさへある。什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》麁末《そまつ》な物《もの》でも彼等《かれら》の口《くち》には問題《もんだい》ではない。彼等《かれら》は味《あじは》ふのではなくて要《えう》するに咽喉《のど》の孔《あな》を埋《うづ》めるのである。冷水《れいすゐ》を注《そ
前へ 次へ
全239ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング