る。勘次《かんじ》は追憶《つゐおく》に堪《た》へなくなつてはお品《しな》の墓塋《はか》に泣《な》いた。彼《かれ》は紙《かみ》が雨《あめ》に溶《と》けてだらりとこけた白張提灯《しらはりちやうちん》を恨《うら》めし相《さう》に見《み》るのであつた。
勘次《かんじ》は悄《しを》れた首《くび》を擡《もた》げて三|人《にん》の口《くち》を糊《のり》するために日傭《ひよう》に出《で》た。彼《かれ》は能《よ》く隣《となり》の主人《しゆじん》に使《つか》つて貰《もら》つた。米《こめ》は屹度《きつと》彼《かれ》が搗《つ》かせられた。上手《じやうず》な彼《かれ》は減《へ》らさないでさうして白《しろ》く搗《つ》いた。彼《かれ》は時《とき》としては主人《しゆじん》のうつかりして居《ゐ》る間《ま》に藏《くら》から餘計《よけい》な米《こめ》を量《はか》り出《だ》して、そつと隱《かく》して置《お》いて夜《よる》自分《じぶん》の家《いへ》に持《も》つて來《く》ることがあつた。それも僅《わづ》か二|升《しよう》か三|升《じよう》に過《す》ぎない。其《そ》の位《くらゐ》では主人《しゆじん》の注意《ちうい》を惹《ひ》くには足《た》らなかつた。さうして其《そ》の米《こめ》は窮迫《きうはく》した彼《かれ》の厨《くりや》を少時《しばし》濕《うるほ》すのである。或《あ》る時《とき》彼《か》れは復《ま》た主人《しゆじん》の米《こめ》をそつと掠《かす》めて股引《もゝひき》へ入《い》れて目《め》につかぬやうに薪《たきゞ》の積《つ》んだ間《あひだ》へ押《お》し込《こ》んで置《お》いた。傭人《やとひにん》がそれを發見《はつけん》して竊《ひそか》に主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんに告《つ》げた。内儀《かみ》さんは僅《わづ》かなことだから棄《す》てゝ置《お》いて遣《や》れといつたが然《しか》し傭人《やとひにん》は一つには惡戯《いたづら》から米《こめ》を明《あ》けて其《そ》の代《かはり》に一|杯《ぱい》に土《つち》を入《い》れて置《お》いた。勘次《かんじ》は發覺《はつかく》したことを怖《おそ》れ且《か》つ恥《は》ぢて次《つぎ》の日《ひ》には來《こ》なかつた。それから數日間《すうじつかん》は主人《しゆじん》の家《うち》に姿《すがた》を見《み》せなかつた。内儀《かみ》さんは傭人《やとひにん》の惡戯《いたづら》を聞《き》いて寧《むし》ろ憐《あはれ》になつて又《また》こちらから仕事《しごと》を吩咐《いひつ》けてやつた。更《さら》に袋《ふくろ》へ米《こめ》と挽割麥《ひきわりむぎ》とを交《ま》ぜたのを入《い》れて、それから此《こ》れは傭人《やとひにん》にも炊《た》いてやれないのだからお前《まへ》がよければ持《も》つて行《い》つて秋《あき》にでもなつたら糯粟《もちあは》の少《すこ》しも返《かへ》せと二三|斗《ど》入《はひ》つた粳粟《うるちあは》の俵《たわら》とを一つに遣《や》つた。勘次《かんじ》は主人《しゆじん》の爲《ため》に一|所懸命《しよけんめい》働《はたら》いた。其《そ》の以前《いぜん》からも彼《かれ》は只《たゞ》隣《となり》の主人《しゆじん》から見棄《みす》てられないやうと心《こゝろ》には思《おも》つて居《ゐ》るのであつた。然《しか》し非常《ひじやう》な勞働《らうどう》は傭人《やとひにん》の仲間《なかま》には忌《い》まれた。それは傭人《やとひにん》も彼《かれ》に倣《なら》つて自分《じぶん》も其《そ》の勞力《らうりよく》を偸《ぬす》むことが出來《でき》ないからである。
さうする内《うち》に世間《せけん》は復《また》春《はる》が移《うつ》つて雨《あめ》が忙《いそが》しく田畑《たはた》へ水《みづ》を供給《きようきふ》した。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の後《うしろ》の田《た》へ出《で》て刈株《かりかぶ》を引《ひ》つ返《かへ》しては耕《たがや》した。おつぎも萬能《まんのう》を持《も》つて勘次《かんじ》の後《あと》に跟《つ》いた。勘次《かんじ》はお品《しな》の手《て》が減《へ》つた丈《だけ》はおつぎを使《つか》つてどうにか從來《これまで》作《つく》つた土地《とち》は始末《しまつ》をつけようと思《おも》つた。殊《こと》に田《た》は直《すぐ》後《うしろ》なので什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》にしても手放《てばな》すまいとした。一|且《たん》地主《ぢぬし》へ還《かへ》して畢《しま》つたら再《ふたゝ》び自分《じぶん》が欲《ほ》しくなつても容易《ようい》に手《て》に入《い》れることが出來《でき》ないのを怖《おそ》れたからである。今《いま》におつぎを一|人前《にんまへ》に仕込《しこ》んで見《み》ると勘次《かんじ》は心《こゝろ》に思《おも》つて居《ゐ》る
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