《はし》をつけた容子《ようす》がない。おつぎは燒《や》いた握飯《にぎりめし》を一つ枕元《まくらもと》にそつと置《お》いて遁《に》げるやうに歸《かへ》つて來《き》た。老人《としより》の敏《さと》い目《め》が到頭《たうとう》開《ひら》かなかつた。卯平《うへい》は疲《つか》れた心《こゝろ》が靜《しづ》まつて漸《やうや》く熟睡《じゆくすゐ》した處《ところ》なのであつた。
掘立小屋《ほつたてごや》が出來《でき》てから勘次《かんじ》はそれでも近所《きんじよ》で鍋《なべ》や釜《かま》や其《そ》の他《た》の日用品《にちようひん》を少《すこ》しは貰《もら》つたり借《か》りたりして使《つか》つた。おつぎは其《そ》の間《あひだ》一|心《しん》に燒《や》けた鍋釜《なべかま》を砥石《といし》でこすつた。竹《たけ》の床《とこ》へ數《し》く筵《むしろ》が三四|枚《まい》、此《これ》も近所《きんじよ》で古《ふる》いのを一|枚《まい》位《ぐらゐ》づつ呉《く》れた。さうしてから漸《やうや》く蒲團《ふとん》が運《はこ》ばれた。それは彼《かれ》がぎつしりと腰《こし》に括《くゝ》つた財布《さいふ》の力《ちから》であつた。米《こめ》や麥《むぎ》や味噌《みそ》がそれでどうにか工夫《くふう》が出來《でき》た。彼《かれ》は斯《か》うして命《いのち》を繼《つな》ぐ方法《はうはふ》が漸《やつ》と立《た》つた。二三|日《にち》過《す》ぎて與吉《よきち》の火傷《やけど》は水疱《すゐはう》が破《やぶ》れて死《し》んだ皮膚《ひふ》の下《した》が少《すこ》し糜爛《びらん》し掛《か》けた。勘次《かんじ》は心《こゝろ》から漸《やうや》く其《そ》の瘡痍《きず》を勦《いたは》つた。彼《かれ》は平生《いつも》になくそれを放任《うつちや》つて置《お》けば生涯《しやうがい》の畸形《かたわ》に成《な》りはしないかといふ憂《うれひ》をすら懷《いだ》いた。さうして彼《かれ》は鬼怒川《きぬがは》を越《こ》えて醫者《いしや》の許《もと》に與吉《よきち》を連《つ》れて走《はし》つた。醫者《いしや》は微笑《びせう》を含《ふく》んだ儘《まゝ》白《しろ》いどろりとした藥《くすり》を陶製《たうせい》の板《いた》の上《うへ》で練《ね》つて、それをこつてりとガーゼに塗《ぬ》つて、火傷《やけど》を掩《おほ》うてべたりと貼《はつ》てぐる/\と白《しろ》い繃帶《ほうたい
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