ざんこく》に渡《わた》つて少《すこ》しでも餘裕《よゆう》を與《あた》へられないのである。それで彼等《かれら》の間《あひだ》には自然《しぜん》に只《たゞ》恐怖《きようふ》する性質《せいしつ》のみが助長《じよちやう》されたのであるかも知《し》れない。それだから既《すで》に薪《たきぎ》に伐《き》るべき時期《じき》を過《すご》して、大木《たいぼく》の相《さう》を具《そな》へて團栗《どんぐり》が其《そ》の淺《あさ》い皿《さら》に載《の》せられるやうに成《な》れば、枯葉《かれは》は潔《いさぎよ》く散《ち》り敷《し》いてからりと爽《さわや》かに樹相《じゆさう》を見《み》せるのである。丁度《ちやうど》それは子孫《しそん》の繁殖《はんしよく》と自己《じこ》の防禦《ばうぎよ》との必要《ひつえう》を全《まつた》く忘《わす》れさせられた梨《なし》の接木《つぎき》が、大《おほ》きな刺《とげ》を幹《みき》にも枝《えだ》にも持《も》たなく成《な》つたやうに、恐怖《おそれ》が彼等《かれら》を去《さ》つたのである。
 然《しか》しながら林《はやし》の櫟《くぬぎ》は幾《いく》ら遠《とほ》く根《ね》を伸《のば》して迅速《じんそく》な生長《せいちやう》を遂《と》げようとしても、冷《ひやゝ》かな秋《あき》が冬《ふゆ》を地上《ちじやう》に導《みちび》くのである。彼等《かれら》は其《そ》の冬《ふゆ》の季節《きせつ》に於《おい》て生命《せいめい》を保《たも》つて行《ゆ》くのには凡《すべ》ての機能《きのう》を停止《ていし》して引《ひ》き緊《しま》らねば成《な》らぬ。それでなければ彼等《かれら》は氷雪《ひようせつ》の爲《ため》に枯死《こし》せねばならぬ。其《その》季節《きせつ》に彼等《かれら》の最後《さいご》の運命《うんめい》である薪《まき》や炭《すみ》に伐《き》られるやうに一|番《ばん》適當《てきたう》した組織《そしき》に變化《へんくわ》することを餘儀《よぎ》なくされるのである。彼等《かれら》はそれから其《そ》の貴重《きちよう》な呼吸器《こきふき》であつた枯葉《かれは》を一|枚《まい》でも枝《えだ》から放《はな》すまいとし又《また》離《はな》れまいとして居《ゐ》る。生育《せいいく》の機能《きのう》が停止《ていし》されると共《とも》に粘着力《ねんちやくりよく》を失《うしな》ふべき筈《はず》の葉柄《えふへい》が確乎《し
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