かりと窶《やつ》れたやうに見《み》えた。女房《にようばう》が死《し》んだ時《とき》は卯平《うへい》は枕元《まくらもと》に居《ゐ》なかつた。村落《むら》には赤痢《せきり》が發生《はつせい》した。豫防《よばう》の注意《ちうい》も何《なに》もない彼等《かれら》は互《たがひ》に葬儀《さうぎ》に喚《よ》び合《あ》うて少《すこ》しの懸念《けねん》もなしに飮食《いんしよく》をしたので病氣《びやうき》は非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひで蔓延《まんえん》したのであつた。卯平《うへい》も患者《くわんじや》の一|人《にん》でさうしてお品《しな》の家《いへ》に惱《なや》んで居《ゐ》た。お品《しな》の母《はゝ》の懇切《こんせつ》な介抱《かいはう》から彼《かれ》は救《すく》はれた。彼《かれ》はどうしても瀕死《ひんし》の女房《にようばう》の傍《かたはら》に病躯《びやうく》を運《はこ》ぶことが出來《でき》なかつた。其《そ》の窶《やつ》れた目《め》の憂《うれ》へるのを彼《かれ》は見《み》るに忍《しの》びなかつたからである。彼《かれ》のさういふ意志《いし》は長《なが》い月日《つきひ》の病苦《びやうく》に嘖《さいな》まれて僻《ひが》んだ女房《にようばう》の心《こゝろ》に通《つう》ずる理由《わけ》がなかつた。さうして女房《にようばう》は激烈《げきれつ》な神經痛《しんけいつう》を訴《うつた》へつゝ死《し》んだ。卯平《うへい》は有繋《さすが》に泣《な》いた。葬式《さうしき》は姻戚《みより》と近所《きんじよ》とで營《いとな》んだが、卯平《うへい》も漸《やつ》と杖《つゑ》に縋《すが》つて行《い》つた。
 其《そ》の秋《あき》の盆《ぼん》には赤痢《せきり》の騷《さわ》ぎも沈《しづ》んで新《あたら》しい佛《ほとけ》の數《かず》が殖《ふ》えて居《ゐ》た。墓地《ぼち》には掘《ほ》り上《あ》げた赤《あか》い土《つち》の小《ちひ》さな塚《つか》が幾《いく》つも疎末《そまつ》な棺臺《くわんだい》を載《の》せて居《ゐ》た。大抵《たいてい》は赤痢《せきり》に罹《かゝ》つて漸《やうや》く身體《からだ》に力《ちから》がついたばかりの人々《ひと/″\》が例年《れいねん》の如《ごと》く草刈鎌《くさかりがま》を持《も》つて六|日《か》の日《ひ》の夕刻《ゆふこく》に墓薙《はかなぎ》というて出《で》た。墓《はか》の邊《ほとり》は生《はえ》るに任
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