凝《こゞ》つて狹《せめ》えつたつて窮屈《きうくつ》だつてやつと居《ゐ》る丈《だけ》なんだから、天井《てんじやう》へは頭《あたま》打《ぶ》つゝかり相《さう》で生命《いのち》でも何《なん》でも蹙《ちゞ》めらつる樣《やう》なおもひでさ、そんでもまあ到頭《たうとう》遁《に》げもしねえで居《ゐ》らつたんだから、家《うち》でも持《も》つてかれたものからぢや運《うん》がえゝのせえ、まあ晝間《ひるま》はなんちつても方々《はう/″\》見《め》えてえゝが、夜《よる》がなんぼにも小凄《こすご》くつてねえ」おつたは自分《じぶん》の怖《おそ》ろしかつた經驗《けいけん》を聞《き》いてくれるのを悦《よろこ》ぶやうに語《かた》り續《つゞ》けるのであつた。
「そんでまあ、それもえゝが蛙《けえる》だの蛇《へび》だのが來《き》てね、蛙《けえる》はなんだが蛇《へび》がなんぼにも厭《いや》ではあ、棒《ぼう》で引《ひ》つ掛《か》けて遠《とほ》くの方《はう》へ打《ぶ》ん投《な》げて見《み》ても、執念深《しふねんぶけ》えつちのか又《また》ぞよ/\泳《およ》いで來《き》て、それも夜《よる》がねえ萬一《もしも》のことが有《あ》つちやと思《おも》ふもんだから明《あか》り點《つ》けてたんだが其《そ》の所爲《せゐ》か餘計《よけい》に來《く》る樣《やう》で、薄《うす》つ闇《くれ》え明《あか》りだからぢつき側《そば》へ來《き》てからでなくつちや分《わか》んねえし、首《くび》擡《もちや》げてんの見《み》ちや本當《ほんたう》に厭《や》でねえ」おつたは幾《いく》らいつても竭《つ》きない當時《たうじ》を髣髴《はうふつ》せしめようとする容子《ようす》でいつた。
 栗《くり》の木《き》の陰《かげ》に居《ゐ》た勘次《かんじ》はだん/\と幾《いく》らづゝでも洪水《こうずゐ》の噺《はなし》に興味《きようみ》を感《かん》じても來《き》たし、それから假令《たとひ》どうでも尋《たづ》ねて來《き》た※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、299−10]《あね》に挨拶《あいさつ》もせぬのは他人《たにん》の手前《てまへ》が許容《ゆる》さないので漸《やうや》く立《た》つて
「※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、299−11]等《あねら》も隨分《ずゐぶん》ひでえ目《め》に遭《あつ》たんだな」彼《かれ》
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