《かま》あこたあんめえな、おとつゝあは」といつておつぎは勘次《かんじ》を壓《お》しつけて畢《しま》ふのである。
 卯平《うへい》はおつぎが看病《かんびやう》に來《く》る時《とき》は大抵《たいてい》
「汝《わ》りやえゝよ」といふのが例《れい》である。彼《かれ》は勘次《かんじ》に遠慮《ゑんりよ》をするのではなくて、おつぎがぶつ/\いはれるのを懸念《けねん》するのであつた。それでも卯平《うへい》は心《こゝろ》竊《ひそか》におつぎを待《ま》ちつゝあつた。彼《かれ》が惱《なや》まされた僂麻質斯《レウマチス》は病氣《びやうき》の性質《せいしつ》として彼《かれ》の頑丈《ぐわんぢやう》な身體《からだ》から其《そ》の生命《せいめい》を奪《うば》ひ去《さ》るまでに力《ちから》を逞《たくま》しくすることはなく、起《おこ》つたり和《やはら》いだりして彼《かれ》が歸《かへ》つてから二|度目《どめ》の冬《ふゆ》も一日々々《いちにち/\》と短《みじか》い日《ひ》を刻《きざ》んで行《い》つた。
 狹苦《せまくる》しい掘立小屋《ほつたてごや》は彼《かれ》が當初《はじめ》に思《おも》ひ込《こ》んだ程《ほど》彼《かれ》の爲《ため》に幸《さいはひ》な處《ところ》ではなかつた。

         一九

「おゝ暑《あつ》え/\、なんち暑《あつ》えこつたかな」おつたは前駒《まへこま》の下駄《げた》を引《ひ》き擦《ず》つて
「おや/\まあ能《よ》く斯《か》うなあ、何處《どこ》にも草《くさ》だら一《ひと》つなくつて、見《み》ても晴々《せえ/\》とする樣《やう》だ」と態《わざ》とらしい樣《やう》にいつて庭《には》に立《た》つた。さうしてから
「たんと穫《と》れべえなこんぢや、幹《から》ばかしでもたえした出來《でき》だな」といつて勘次《かんじ》に近《ちか》く歩《ほ》を運《はこ》んだ。勘次《かんじ》は庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》の陰《かげ》へ二《ふた》つの臼《うす》を横《よこ》に轉《ころ》がしておつぎと二人《ふたり》で夏蕎麥《なつそば》を打《う》つて居《ゐ》た。夏蕎麥《なつそば》は小麥《こむぎ》でも打《う》つ樣《やう》に一《ひと》つ攫《つか》んでは肩《かた》から背負《せお》ふやうにして臼《うす》の腹《はら》へ叩《たゝ》きつけると三|稜形《りようけい》の種子《み》がまだ少《すこ》し青《あを》い葉《は》と共《と
前へ 次へ
全478ページ中308ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング