いのであつた。それで普通《ふつう》どの家《うち》でも彼等《かれら》が滿足《まんぞく》を買《か》ひ得《う》る分量《ぶんりやう》を前以《まへもつ》て用意《ようい》して居《ゐ》るのである。
彼等《かれら》はさういふ夜《よ》に褞袍《どてら》を被《かぶ》つて他人《たにん》の裏戸口《うらどぐち》に立《た》たねば成《な》らぬ必要《ひつえう》な條件《でうけん》を一《ひと》つも有《も》つて居《ゐ》ない。只《たゞ》彼等《かれら》の凡《すべ》ては藁《わら》を打《う》つて繩《なは》を綯《な》ふべき夜《よる》の務《つと》めを捨《すて》て公然《こうぜん》一|所《しよ》に集合《しふがふ》する機會《きくわい》を見出《みいだ》すことを求《もと》めて居《ゐ》る。集合《しふがふ》することが直《たゞち》に彼等《かれら》に娯樂《ごらく》を與《あた》へるからである。兩性《りやうせい》が然《しか》も他人《たにん》の手《て》を藉《か》りて一《ひと》つに成《な》る婚姻《こんいん》の事實《じじつ》を聯想《れんさう》することから彼等《かれら》の心《こゝろ》が微妙《びめう》に刺戟《しげき》される。彼等《かれら》の凡《すべ》ては悉《ことごと》く異性《いせい》を知《し》り又《また》知《し》らんとして居《ゐ》る。彼等《かれら》は他人《たにん》の目《め》を偸《ぬす》むのには幾多《いくた》の支障《さはり》、それは其《そ》の爲《ため》に相《あひ》慕《した》ふ念慮《ねんりよ》が寧《むし》ろ却《かへつ》て熾《さかん》に且《か》つ永續《えいぞく》することすら有《あ》りながら、當事者《たうじしや》たる彼等《かれら》には五月繩《うるさ》い其《そ》の支障《さはり》をこつそりと拂《はら》ひ退《の》けねば成《な》らぬ焦燥《じれ》つたい感《かん》が止《や》まないのに、周圍《しうゐ》の凡《すべ》てが杯《さかづき》を擧《あ》げてくれる其《そ》の夜《よ》の當人同士《たうにんどうし》を念頭《ねんとう》に浮《うか》べる時《とき》彼等《かれら》は淡《あは》い嫉妬《しつと》を沸《わ》かさねば成《な》らぬ。それで彼等《かれら》の心《こゝろ》には喰《く》つてやれ、飮《の》んでやれ、さうして遣《や》らねば腹《はら》が癒《い》えぬといふ觀念《くわんねん》が期《き》せずして一致《いつち》するのである。笊《ざる》で運《はこ》んだ饂飩《うどん》が多人數《たにんずう》の彼等《か
前へ
次へ
全478ページ中195ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング