な》が表《おもて》の大戸《おほど》を開《あ》けさせた時《とき》は日《ひ》がきら/\と東隣《ひがしどなり》の森《もり》越《ご》しに庭《には》へ射《さ》し掛《か》けてきつかりと日蔭《ひかげ》を限《かぎ》つて解《と》け殘《のこ》つた霜《しも》が白《しろ》く見《み》えて居《ゐ》た。庭先《にはさき》の栗《くり》の木《き》の枯葉《かれは》からも、枝《えだ》へ掛《か》けた大根《だいこ》の葉《は》からも霜《しも》が解《と》けて雫《しづく》がまだぽたり/\と垂《た》れて居《ゐ》る。庭《には》へ敷《し》いてある庭葢《にはぶた》の藁《わら》も只《たゞ》ぐつしりと濕《しめ》つて居《ゐ》る。冬《ふゆ》になると霜柱《しもばしら》が立《た》つので庭《には》へはみんな藁屑《わらくづ》だの蕎麥幹《そばがら》だのが一|杯《ぱい》に敷《し》かれる。それが庭葢《にはぶた》である。霜柱《しもばしら》が庭《には》から先《さき》の桑畑《くはばたけ》にぐらり/\と倒《たふ》れつゝある。
お品《しな》は蒲團《ふとん》の中《なか》でも滅切《めつきり》暖《あたゝ》かく成《な》つたことを感《かん》じた。時々《とき/″\》枕《まくら》を擡《もた》げて戸口《とぐち》から外《そと》を見《み》る。さうしては麥藁俵《むぎわらだはら》の側《そば》に置《お》いた蒟蒻《こんにやく》の手桶《てをけ》をどうかすると無意識《むいしき》に見《み》つめる。横《よこ》に成《な》つて居《ゐ》る目《め》からは東隣《ひがしどなり》の森《もり》の梢《こずゑ》が妙《めう》に變《かは》つて見《み》えるので凝然《ぢつ》と見《み》つめては目《め》が疲《つか》れるやうに成《な》るので又《また》蒟蒻《こんにやく》の手桶《てをけ》へ目《め》を移《うつ》したりした。お品《しな》はどうかして少《すこ》しでも蒟蒻《こんにやく》を減《へ》らして置《お》きたいと思《おも》つた。お品《しな》は其《その》内《うち》に起《お》きられるだらうと考《かんが》へつゝ時々《とき/″\》うと/\と成《な》る。
「切干《きりぼし》でも切《き》つたもんだかな」おつぎが庭《には》から大《おほ》きな聲《こゑ》でいつた時《とき》お品《しな》はふと枕《まくら》を擡《もた》げた。それでおつぎの聲《こゑ》は意味《いみ》も解《わか》らずに微《かす》かに耳《みゝ》に入《い》つた。
暫《しばら》くたつてからお品《
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