ぼつ》し去《さ》つた切《き》り、軈《やが》て梅雨《つゆ》が夥《おびたゞ》しく且《か》つ毒々《どく/\》しい其《そ》の栗《くり》の花《はな》の腐《くさ》るまではと降《ふ》り出《だ》したので其《そ》の女《をんな》の穢《きたな》げな窶《やつ》れた姿《すがた》は再《ふたゝ》び見《み》られなかつた。
勘次《かんじ》は耳《みゝ》の底《そこ》に響《ひゞ》いた其《そ》の句《く》を獨《ひと》り感《かん》に堪《た》へたやうに唄《うた》うては行《ゆ》くのである。彼《かれ》は自分《じぶん》の聲《こゑ》が高《たか》いと思《おも》つた時《とき》他人《ひと》に聞《き》かれることを恥《は》づるやうに突然《とつぜん》あたりを見《み》ることがあつた。曲《まが》り角《かど》でひよつと逢《あ》ふ時《とき》それが口輕《くちがる》な女房《にようばう》であれば二三|歩《ぽ》行《や》り過《すご》しては
「どうしたえ、勘次《かんじ》さん彼女《あれ》げ焦《こが》れたんぢやあんめえ、尤《もつと》も年頃《としごろ》は持《も》つゝけだから連《つれ》つ子《こ》の一人《ひとり》位《ぐれえ》は我慢《がまん》も出來《でき》らあな、そんだがあれつ切《き》り來《き》なくなつちやつて困《こま》つたな」と遠慮《ゑんりよ》もなく揶揄《からか》うては、少《すこ》し隔《へだ》たると態《わざ》と聲《こゑ》を立《た》てゝ其《そ》の句《く》を唄《うた》つたりする。さうすると勘次《かんじ》は家《うち》に歸《かへ》るまで一|句《く》も唄《うた》はない。然《しか》し彼《かれ》は暫《しばら》くそれを唄《うた》ふことを止《や》めなかつた。
彼《かれ》は只《たゞ》女房《にようばう》が欲《ほし》い/\とのみ思《おも》つた。
九
勘次《かんじ》は依然《いぜん》として苦《くる》しい生活《せいくわつ》の外《そと》に一|歩《ぽ》も遁《のが》れ去《さ》ることが出來《でき》ないで居《ゐ》る。お品《しな》が死《し》んだ時《とき》理由《わけ》をいうて借《か》りた小作米《こさくまい》の滯《とゞこほ》りもまだ一|粒《つぶ》も返《かへ》してない。大暑《たいしよ》の日《ひ》が井戸《ゐど》の水《みづ》まで減《へ》らして炒《い》りつける頃《ころ》はそれまでに幾度《いくたび》か勘次《かんじ》の※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、126−10]桶《こくをけ》は空《から
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