おら》がにや此《こ》んぢや引《ひ》きじるやうぢやあんめえか」おつぎはそれから手《て》で釣《つ》るして見《み》たりした。
「藏《しま》つて置《お》いて、俺《お》らいまつと大《えか》く成《な》つてから着《き》べかな」
「どうでも汝《われ》がもんだから汝《われ》が好《す》きにしろな」勘次《かんじ》はおつぎの手《て》が動《うご》くに從《したが》つて目《め》を移《うつ》した。手《て》ランプのぼうと立《た》つ油煙《ゆえん》がほぐれた髮《かみ》へ靡《なび》き掛《かゝ》るのも知《し》らずにおつぎはそつちこつちへ單衣《ひとへ》を弄《いぢ》つて居《ゐ》た。
「汝《われ》うつかりして、そうれ燃《も》えつちまあぞ」勘次《かんじ》は油煙《ゆえん》が復《ま》た傾《かたむ》いた時《とき》慌《あわ》てゝおつぎの髮《かみ》へ手《て》を當《あ》てゝいつた。

         七

 勘次《かんじ》の田畑《たはた》は晩秋《ばんしう》の收穫《しうくわく》がみじめなものであつた。それは氣候《きこう》が惡《わる》いのでもなく、又《また》土地《とち》が惡《わる》いのでもない。耕耘《かううん》の時期《じき》を逸《いつ》して居《ゐ》るのと、肥料《ひれう》の缺乏《けつばふ》とで幾《いく》ら焦慮《あせ》つても到底《たうてい》滿足《まんぞく》な結果《けつくわ》が得《え》られないのである。貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》はいつでも土《つち》にくつゝいて食料《しよくれう》を獲《う》ることにばかり腐心《ふしん》して居《ゐ》るにも拘《かゝ》はらず、其《そ》の作物《さくもつ》が俵《たはら》になれば既《すで》に大部分《だいぶぶん》は彼等《かれら》の所有《しよいう》ではない。其《そ》の所有《しよいう》であり得《う》るのは作物《さくもつ》が根《ね》を以《もつ》て田《た》や畑《はた》の土《つち》に立《た》つて居《ゐ》る間《あひだ》のみである。小作料《こさくれう》を拂《はら》つて畢《しま》へば既《すで》に手《て》をつけられた短《みじか》い冬季《とうき》を凌《しの》ぐ丈《だ》けのことがともすれば漸《やうや》くのことである。彼等《かれら》は自分《じぶん》で田畑《たはた》が忙《いそが》しい時《とき》にも其《そ》の日《ひ》に追《おは》れる食料《しよくれう》を求《もとめ》る爲《ため》に比較的《ひかくてき》收入《みいり》のいゝ日傭《ひよう》に行
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